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本のある暮らしもいいじゃない

暮らし話

「あなた人生損しているわよ!」と、言われたことはあるだろうか?

私の記憶をたどってみるが、思い出せないだけなのか、私の人生でそう言われたことはまだ無い気がする。しかし、私は自分自身に対して、そう言いたくなる気持ちになることが増えている。

私は20代になってから本を読み出し、それ以来読書は私の趣味のひとつになった。

本の面白さを知らずに育った若かりし頃の自分に言ってやりたい。「おい自分!本は面白いんだぞ!本を読まないなんて人生損しているぞ!!」と。

今ではポケットには鍵と財布と携帯と、それに文庫本を入れて出かける程に本も私の生活の一部に溶け込んでいる。あまりに没頭して本を読んでいると、他のことが手につかなくなるし、移動中に目的の駅では電車から降りるのを忘れてしまう。

私は子供の頃、本当に勉強しない子供だった。本も全然読まなかったが、読むこと自体が勉強としか思えず興味を持てないまま、私はまともに1冊の本すら読んだこともなかった。

夏休みの宿題で、本の感想文を出せといわれれば、あらすじと最後の数ページを読んで、読んだふりをして適当に感想文を書いて提出するような奴であった。

私はもともと漫画は好きこのみ読んでいたが、本は退屈だと思い込んで完全に食わず嫌いの状態で大人になってしまった。

そんな私も20代になった頃、一緒に働いていた同僚から勧められて本を読んでみることにした。

学校で学業として強制的に読まされるわけではなく、友人が面白いというものに自然と興味を持ち、自分の意志で読むか読まないかを選べばいいという状況で、初めて好奇心を持って本を手に取ることができた。

如何に友人が与える影響力が大きいか考えさせられる。

それがきっかけで本を読むようになったものの、いつも本を持ち歩くほどの興味が湧かないまま数年経ち、ある本に出会いそれが私を本好きに変えた。

私を変えたのは、司馬遼太郎の”竜馬がゆく”全7巻の文庫本である。

職場の同僚が貸していた本の返却の場にたまたま居合せた私に、「これまじで面白いから読んでみ!」と7冊セットの文庫本を勧められるままに本を借りて読むことになった。

これを機に私と本の関係はすっかり変わり、私は文庫本愛読者になったのである。

その全7巻の本、”竜馬がゆく”を私はあっと言う間に読み終えた。

その本からは明治維新の頃の話をフィクションを交えた内容で学び、その後に実際の歴史を調べたりもした。学生の頃に本の面白さを知り、こうやって勉強のきっかけを作れていたら、私は少なくとも歴史についてはもうちょっとましな成績を取れていたのではないだろうか。

本を好きになる前は、私は映画をよく見ていた。今でも映画をたまに見るが、今になって沢山の映画の原作として本が存在していたことを知った。

「これも本が原作だったのか!」と思ったり、「この本は面白いから映画にしても良さそうだな」と思うと、とっくの昔に映画化されているのだ。

本の面白い所は、本の描写によりどんどん自分の頭に映像が広がるところである。

他の人が同じ本を読めば、同じ主人公や脇役の人に対し、私が想像するのとは違った情景や外見をイメージして本を読むのだろう。

読み手それぞれの頭の中で少しずつ違ったイメージを持ち楽しめることが凄いことだとしみじみ思う。

映画を見ると、映画の俳優が主人公そのもので、情景は主人公と一緒に映像化され、想像の余地はない。それはそれで便利だし、より多くの人が短時間に手軽に楽しめるものになるのだから良いのだろう。

しかし本を読を読めば、同じストーリーでも細かな文字の描写に手助けされ、人物像や情景はどんどん肉付けされ、想像力を膨らませもっと楽しむことが出来る。読み手ひとりひとりが時間をかけ、無限に楽しめる娯楽なのだと思う。

私には姉がいるのだが、実は姉も子供の頃殆ど本を読んでいなかった。

しかし、私が本を読み始めたのと同時期に姉も本好きになったらしく、今では姉も絶えず本を読む生活を送っている。お互いに「実は私ら本好きだったんだね。両親が日頃から本を読むか、読まないかで子供の頃から本好きになるか影響がありそうだね」という話をしたこともある。

実際のところ、親の影響については不明だが、私達の両親が本を読んでいる姿を見たことはなかった。

真相はわからないが、今はお互いに本を読む楽しさを知り、面白いと思った本は姉妹間で行き来をする。それらの本は最低でも2度は読まれるから、きっと本も幸せだろう。

私はよくブックオフのお世話になっている。せっせとブックオフで文庫本を買い、文庫本を読み集めているのだ。

私は鞄を持たずに出かけることが多いので、ポケットに入る文庫本を好んで買っている。

女性の服はポケットが小さいので夏服で出かける時には諦めてバッグを持つが、文庫本なら小さなバッグでもすっぽり収まるし、冬ならばコートのポケットにひっそりと収まるのだ。

私は海外の友人にもこの文庫本のことをよく自慢している。

文庫本は日本の隠れた素晴らしい文化財だと思う。海外でも古本屋に行けば文庫サイズの本を見つける事は出来るが、現行の本の殆どの本は大きく重くかさばるのだ。

先日イギリスの古本屋を訪れた時には、たまたまポケットサイズの名作を見つけることができ、自分のお土産にとその本を購入した。

海外の書店でポケットサイズの本を目にすることはない。ハードカバーの本が発行された後に、ペーパーバッグという小さめのサイズの本が発行されるが、これは文庫本よりも一回り大きく、辞書並みに分厚い。

だから私は、日本では不動のサイズとして文庫本を発行し続けてくれることを誇りに思う。

私は将来、この集めた文庫本を全部アメリカに持っていこうと思っている。

日本にいれば図書館でいくらでも本を借りれるが、いったん日本を離れると日本の本は一気に手に入りにくいものになる。1冊2冊ならアマゾン経由で購入すればいいだろうが、私は何百冊という文庫本を所蔵したいのだ。

本は重いのでアメリカに持っていく時には船便でまとめて送る予定である。郵便局の船便で3か月くらいかけて日本から送ることになるだろうが、文庫本はコンパクトだから沢山送っても高額にならなそうなところも良い。

アメリカにいても楽しく読める日本語の本を沢山持ち、いつか日本の本を読みたいという近くに住む日本人の大人にも若者にも本を貸してあげたいと思っている。

若者や子供たちは、デジタルで読むから実際の本は必要ないという時代かもしれないが、私はデジタル本苦手なので自分のためにも文庫本で所有したい。

そして私もアメリカに居ても沢山の人に本を読む楽しさを伝えたい。

私の人生は本によって以前よりも豊かになった。

本の中に生きる文字によって想像力の乏しい自分でも色彩豊かな想像の世界を持てるようになる

本を読むのが好きになると、書くことも好きになる気がする。こうしてブログを書くようになったことも本を読む楽しさを知ったことによる影響だろう。

ブログを書く時、つぎつぎと新たな言い回しが頭に浮かんでくるのは、本を読むことと関係しているように思えるのだ。

本を読んで人生得したと思うこと

  • 文章を書くのが好きになった ブログを書きはじめた
  • 知識が増え、話題が増えた 会話の引き出しが増えて話題が尽きない
  • 手持無沙汰の時間が無くなる 待ち時間も本を読めば気にならない

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