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長年やってきた会社員に暫しの休憩

キャリア話

8年近く働いた会社での正社員職を辞めて、私は暫く会社員生活から遠ざかることにした。

この数年の間、仕事を引き受けすぎて仕事を抱え過ぎたところに会社のシステムアップグレードがあり、偉い大変な目にあってしまった。

とりあえずシステムアップグレードが一段落して難所を乗り越えたので、私は仕事を辞めて休むことにした。

システムアップグレードによる新システムへの切替日が決定してから会社を辞めるまで、私は寝る間も惜しんで猛烈に仕事をした。

私の人生で一番働いた期間となったのは間違いない。

燃え尽きはしなかったが、家族から「もう仕事を辞めてほしい」とお願いされる程働いた。これが私が仕事を辞めた一番の理由である。

辞める数か月前の時点で何人もの会社の同僚や、人事から「そんなに働いたら病気になりますよ。大丈夫ですか?」と心配されたが、その頃には自分の中でも辞める予定を立てていたから病気になることもなかったのかもしれない。

そもそも自分は病気になるタイプではない気がする。しかし激務の状態をずっと続けてたら状況は違っていたのかもしれない。いつか病気になっていたかもしれないが、そんなのはいざ病気になってみないと分からないのだろう。

私はとりあえず、病気にならずにその過労の状態を脱することができたので良しとする。

友人や同僚の中には激務の末に病気になってしまった人を何人か知っているが、「自分は病気になるなんて思っていなかった。」と皆声を揃えて言うのだ。という事は私も馬車馬のように働き続けていたら病気になる可能性もあったのだろう。

私はメンタルが強い方だと思う。

昔から強かった訳ではないが、色々経験をするうちに心が強くなってきた。

若かりし頃の私は、戦争映画が苦手だった。殺し合いや、人体の一部分が吹き飛んで損傷する映像が怖かった。私の心は怖い気持ちで一杯になって、映画に込められたメッセージについても全く理解出来なかった。

私は殺し合いの映画を見て何が楽しいのだろうと思っていたのだ。

しかし私が30代中盤になった頃から戦争映画を好んで見るようになり、好きな映画の種類に戦争映画が加わった。この変化は恐らく自分がクリスチャンになった影響が大きいのだろう。

戦争映画は人間が如何に愚かになれるかを教えてくれるのだと思うようになった。

人間は大切なものを失ってまで、やりたくない事をやるような弱さを持っている事を戦争映画は教えてくれる。そして自分にとって大切な物を考えさせてくれる戦争映画に価値を見出すようになった。

戦争映画は極限の状況で他人に愛を持ち関わる喜びと、心の平和の大事さを教えてくれるものがある。

戦争映画を見て私は人間の行動についてアレコレと色々考える。

その中で今の自分の生活は戦争からは遠く平和であることを感謝するようになった。

そんな風に考えていたら仕事が激務で大変であっても「今の激務の生活は、戦争で戦う人達や、戦時中の人たちの暮らしに比べればなんて事はない。」と思うようになったのだ。

周りの人から「よくそんな風に長時間ガツガツと仕事できるね」と言われた時、戦争時のことを持ち出し、だから自分は大丈夫だと説明すると「ソレと比べては駄目でしょう」と言われることもある。

しかし、自分の生活を戦争中の状況と比較していれば私の精神は強く前へ進めるのだから結果オーライなのではないかと思えるし、何か非常事態があった時に出来るだけ冷静に考える精神の基盤が出来ている気がする。

ということで私は仕事が大変な日が長く続いてもコツコツとやってこれた訳だが、夫から「君は仕事と結婚したのか?」と言われ、完全に崩壊したライフワークバランスを長く続けるのは良くないということで会社員を辞めてしばらく休むことにしたのである。

8年近く働いた会社は居心地もよかったし、色々と任せてもらって経験値が上がったし、仕事を通してかなり多くの事を学べたので、自分は会社に搾取されたとは別に思っていない。

人事から私の「労働時間がヤバい!」と注意が入った時、上司は「そこまで頑張らなくていいよ」と言ってくれるような人だったし、自分では恵まれた会社環境で働いていたと思っている。

しかし、この先また会社員をやる時には、ひとつの会社で5年以上働くのは止めておこうと思っている。

この先、私が会社員をする場合、再度レポートやBI(ビジネスインテリジェンス)の作成に関り、会社のシステムにあるデータをあっちこっち調べるだろう。そうやって長く働くと会社のシステムや、データ生き字引になってしまう可能性が高いのだ。

生き字引になり多くの人の仕事を助けるのも悪くはないのだが、そうなった場合、私の性格上やたらと仕事を増やしてしまい問題になる。

多くの人が助けを求めてきて、ついついベストな方法を私も時間をかけて探してしまう。

そうやって自分の仕事量を増やしてしまうのだ。だからといって自分の抱えている他の仕事を誰かが代わりにやってくれることもない。そうやって仕事の時間が無限に長くなってしまうのだ。

だから新しい仕事に移るという選択肢は良いのだろう。

それに新しい事を覚えると脳が刺激され活性化されるらしい。(確証はないが、色々な記事にそう書いてあるからそう信じる。) 

人に教えて貰えるチャンスが増えるのも貴重なことだ。

過去私は人に教えることで何度も失敗した。

だから再度私が誰かに仕事を教えて貰う事を通して、この先自分が誰かに仕事を教える時の為の、教え方も再検討出来るチャンスがあるのだ。

8年働いた仕事を辞めるのに、最後の1年はずっと「仕事の辞め時は来ているのだろうか」と定期的に考えてた。だから唐突に会社員を辞めたわけではない。

しかし最後の半年間は予想を超える長時間労働が続いていたし、相当な時間外労働手当も貰ったので「しばらく働かないのもありかな」と思っている。

私が会社員を辞めたところで、今までの経験を失うわけでも無駄にするわけでもないから、キャリアについてのブログは今後も続けていく予定だ。

ただキャリアよりも暮らしについてのブログがどんどん増えるだろう。

とりあえず暫くの間休んでまたどこかで働くだろうとは思うが、その時にどんな雇用形態で働くかは決めていない。仕事をするのに正社員にこだわる必要はないかなと思うようになった。

私は正社員として管理職を経験し、データ分析用のレポートシステムテを作る経験や、プロジェクトを進める経験もつき、英語も不自由はなく、慣れたシステムであれば通訳も出来る。

多くの企業でITのポジションにスタッフを増員する場合は正社員ではなく、業務委託を採用することが多いのだ。しかしシステムに強く、日本語と英語両方に不自由がない人材が本当に少なく増員要員探しはかなり大変だった。

それに驚くことにこの業務委託の月給は、専門職正社員の管理職である私の月給とさほど変わらなかったのだ。

業務委託だと年金積立て、退職金積立てという福利厚生が欠けているのだろうが、仕事の責任の重さと、任される仕事の量を比較してみると業務委託をやる方が、割のいい仕事に思える。

ということで、私が次に会社勤めするなら業務委託として働いてみようと考えている。

暫くの間、次に就く仕事を慎重に検討しながらブログを書いて、本を読み、散歩に出歩き、ライフの充実について学ぶ予定だ。

私は自他ともに認めるワーカホリックである。

一緒に仕事をした人の中には、「あなたは仕事しなくなったら燃え尽き症候群になっちゃうんじゃない」と言う人もいたが、やりたいことは色々ある。

新しい趣味や勉強をいくつか始めたい。いつまでも燃え尽きることなく人生を楽しみたい。

とりあえず正社員として働き続けた15年間分の社会保障である雇用保険がどれほどのものか品定めしてしてみようと思う。

ミドルエイジの仕事中心の生活を見直すポイント

  • 自分の人生のプライオリティについて考え直す
  • 家族との時間、友人との時間を取り、人との関りを大事に出来ているか考える
  • キャリアは60代半には殆ど打ち止めになることを考えその後のことも計画する

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