当ブログはアフィリエイト広告を利用しています

キャリアの武器は英語と欧米文化|高卒女のキャリアブログ

英語の壁

専門職スキルだけで「キャリアわらしべ長者」の道を切り開くことも出来なくはないが、付加価値の高い売り込みポイントは絶対にあった方がいい。

会社で昇進するにも、転職を成功させるためにも、専門職スキルにプラスアルファして、キャリア戦線に挑む方が、絶対に有利である。

キャリア戦線武装アイテム

私の持つプラスアルファとなる武装アイテムはというと、「英語と欧米文化理解」と、笑顔である。マクドナルドのスマイル0円に負けないように、私は継続して、笑顔を絶やさない努力をしている。

私が転職先で出会った中にも各自、色々なスキルを持っている人達がいた。ずば抜けたコミュニケーション力、業界のネットワークの広さ、話術、プレゼンスキル、チームを纏めるプロだったり、様々な高い戦闘力を持っていた。

他にも何でも自分で解決する群を抜いたサバイバルスキルを持った天才もいたし、波風を立てないプロっていう人もいた。

自分の立ち位置を認識する

私には誇れる学歴はないし、学歴は高校卒業だ。職歴もエリート道を歩いた人とは全く違っている。

高校卒業後の職歴は、気ままに派遣社員をした履歴が複数並び、仕事を渡り歩き続けているうちに、経験豊富な「データアナリスト専門職」のキャリアを築き、「棚からぼた餅キャリア」を得たのである。

普通に「データアナリスト」の仕事を探せば、基本的に「大卒」という条件記載がある。私は常に高卒というハンデをしょっているから、他の人よりもキャリア武装が必須なのだ。

よっぽどのコネでもない限り、私の学歴と経歴を見た日系の大企業が、私を採用する事はないだろう。

私のようなサバイバーに価値を見出してくれるのは、大抵、外資系の会社の管理職者に多い。そういう管理職者と上手にコミュニケーションを取れれば、彼らが私にキャリアチャンスを与えてくれるのだ。

生きた英語コミュニケーション

今の私が英語のコミュニケーションに困ることは殆どない。しかし、ずっとそうだった訳ではない。

23歳の頃に本格的に英語学習を初め、25歳の時にアメリカでチャイルドケアを1年経験し、その時に夫と出会った。その頃でも私の英語力はなんとかコミュニケーションが成立する程度の物だった。

時間をかけ、夫との20年弱の欧米文化ベースの生活コミュニケーションによって、私は生きた英語のコミュニケーションを得ることができた。恐らく、夫が英語文法に厳しいことも功を奏したことは間違いない。

お陰で、話す相手が誰であっても、たとえ偉い立場の人相手でも、「私が言う事が失礼だったらどうしよう」などと考えること自体なくなった。私は日本で暮らしながら、欧米文化ベースのコミュニケーションについて学んだのである。

夫との結婚生活を通し、聞かれたことに対してストレートに答えるという訓練してきた
これが私の持つ強みである。

このアプローチは相手が日本人でも、外国人でも、外資系企業ならば比較的通用すると感じている。

チャンスは逃さず挑む

職場で上司から難しい課題を与えられ、「出来るか?」と聞かれたら、「難しそうだけどやってみます」と、私は何でもチャレンジしてきた。自分が派遣社員だった時も同じように挑んできた。

結果的にこういう経験が更なるチャンスを呼ぶのである。

外資系大手企業のデータのスペシャリストとして働いていた時、新しい仕事のチャンスが与えられた。

上司がある日突然、私に「やってみないか?」と、与えてくれた仕事は、アメリカ本社へも共有する英文で要点をまとめた四半期受注分析サマリーレポート作成だったのだ。

この時点で、私はメールや口頭での英語コミュニケーションには慣れていたが、英語でレポートを書けと言われれば、経験が殆どなく、担当することは出来ないと思っていた。それに自分が正社員じゃないし、やる必要もないと思っていたと思う。

しかし、上司は「別に正社員とか関係なく、おまえ出来んだろ?」と私の背中を押し、私はすっかりその気になってチャレンジし、その後は担当者となり3か月毎に四半期レポートを作成した。

良き指導者には従い学習する

「やってみろ」と言われたからには、自分であれこれ考え、試行錯誤でレポートをまとめてみた。

初めは上司も時間を掛けて、私の作成したレポートを共に確認し、添削しながら細かく指導してくれた。私はその工程をスマホで録音し、レポートの修正には録音した内容を改めて聞きながら、再確認してレポートを仕上げたのだ。

4半期毎にこのレポートを作成し、上司は継続して毎回全てに目を通し、アドバイスを与え続けてくれたのである。

成長をするためには、自分の見えてない点について教えて貰うことができれば成長の近道になる。

諦めずにゴールに到達する

この四半期受注分析サマリーレポート作成から完成まで、私は毎回かなり苦労した。

詳細部分のコメントと、総合的なコメントのつじつまを合わせながらホットトピックスを書くのが意外に難しい。途中何度も、「なんでこの仕事を引き受けちゃったんだろう」と、ため息も出た。途中、途方に暮れても、不思議とレポートは完成するから不思議だ。

レポートが完成した時の爽快感は抜群だったし、この仕事をしてから周りからの私の評価は確実に上がっていた。恐らく、この仕事を担当しなかったら、その後の昇進の話もなかっただろう。

誰かがチャンスを与えてくれたら、チャレンジするべきなのである。
失敗したっていいじゃない。失敗の先には成功があるのだから。

実務を通しスキルを高める

私はこの英語レポート作成の仕事を通し、外資系企業でデータアナリストとしてのキャリアを積むための基盤作りをすることができた。

上司は、私に新しい仕事を担当するチャンスだけではなく、そのための知識や、テクニック、アドバイスと、どれをとってもプライスレスなものばかり与えてくれたのである。

私は再び実務を通し、英文構成の分析サマリーレポート作成スキルをお金をもらいながら身に着けた。

「正社員ほどお給料も貰ってないのだから、そんな面倒で大変な仕事やらなくていいんじゃない?」と、私への思いやりを持って、そう言う人たちが結構いたが、実態は真逆である。

正社員でない者に難易度の高い仕事を任せてもらえ、お金をもらいながら実務を通し、スキルを身に着けることができたのだから、得をしているのは間違いなく私なのである。

ビジネススクールに通い学んだら、どれだけのお金と時間が掛かるだろう。そして、誰かを採用する時、ビジネススクールで勉強した候補者と、実務を経験してきたという候補者がいたらどちらが採用されやすいだろうか?私は後者だと思うのだ。

スキルが育てば選択肢が増える

この分析レポート作成の仕事を担当した外資系の大手企業で、私は派遣社員として働き始め、そのあと契約社員になり、最終的に正社員のオファーを貰った。

多くの人が夢見る「世界的ブランド企業」の会社だったが、私は最終的に正社員のオファーを断り、より良い条件を出してくれた別の会社に「データアナリスト」正社員として転職をした。

世界的ブランド企業の正社員になるチャンスを得たが、そのオファーは受けず退職した。しかし、当時の大ボスはがアメリカ本社と調整し、私の正社員籍を確保してくれていたことは私の励みとなった。企業が欠員の補充でもないのに、正社員枠を増員するのは簡単な話ではないからだ。

派遣社員で働き始めても、結果を出して一生懸命働いていれば、契約社員や正社員への雇用変更を誘われることがある。

私が受けた誘い以外でも、私の働いていた外資系の企業では、派遣社員から正社員になった人を実際に何人か見てきた。派遣社員も運があれば、努力次第で将来がないわけじゃない。希望をもって働く価値はあるのだ。

勤務先で社員へ誘いの声が掛からなかったとしても、スキルを身につけて先へ先へ進めばいいのだ。

将来の可能性への種撒き

日本の外資系企業の多くに、本社から日本に送られてくるエクスパットがいる。彼らは日本の上役よりも大きな権限を持っている場合が多い。

その彼らがチャンスを与えてくれることもある。本国の本社で働きたいと言えば相談にも乗ってくれるエクスパットもいる。彼らは日本では身近な上役の場合も多いが、本国だとかなり上の立場だったりするので仲良くなって損はないのだ。

ただ、エクスパットも基本忙しいということを理解する必要がある。コミュニケーションを取るなら、相手の状況を考える必要がある。もたもたと、「忙しいだろうけど、声をかけていいですか?」なんてアプローチは面倒なものになってしまう。

忙しそうなら声を掛けないのがベストなのだ。休憩中やリラックスしている時に声を掛けてみる。それで、相手が話に付き合ってくれそうなら、ちょっとした日常会話を挟んでから、「いつかアメリカ本社で働きたいのだ」と切り出してみればいい。

英語に不自由しない人材

私は人を採用する側になってから、専門スキルに加えて英語力がある人を探すのは想像した以上に大変だということを初めて知った。

「英語と専門職の両方問題なく、バリバリできます!」という人材探しが予想以上に難しかったのだ。

誰でも知っている世界的ブランドを背負った会社なら、そういう人も沢山きてくれるのかもしれない。しかし、ちょっと給料がいいというだけの会社だと、なかなか求める人材を集められない経験をした。

私はこの経験から、「専門職スキルがあり、英語力もあれば、キャリア転職の強者になれる」と思ったのはこの採用側の経験からである。

20代後半からの英語学習

私は”自宅留学”(アメリカ人夫との結婚生活)を開始してから10年以上経過している。

私の高校卒業時の英語力といえば”This is a pen”レベル。22~23歳のときに受けたTOEICは300点台だったと記憶している。24歳で本腰を入れて英語の勉強を始め、25歳でやっとまともな英会話が出来るようになった。

英語の読み書きも少しずつ力を付けた。私は25歳でアメリカに行き、1年間ベビーシッターしながら勉強しながら生活した。その間に夫と出会って付き合い始め、そこからどっぷり生涯英語学習が始まっている。

夫が日本に移住した後も、私たちのコミュニケーションは全て英語で続けているので、私の英語力は今現在も鍛えられ続けている。

夫は何でもきちんと知りたい性格の持ち主で、難しいことも沢山聞いてくる。日本の所得税、住民税の仕組み、政治の仕組み、散々あれやこれや色々聞かれた。

私が「そんなん難しくて答えられないし、日本語でも説明できないよ。」と答えると、夫は「日本人として知る必要があるし、僕も知りたいから宿題ね!」と次々私に課題を出してきた。

課題が出るたびに私は何時間もかけて調べた。

口頭でしかも英語で説明するのは無理だったので、私はその説明をメールで書いた。文法が変じゃないか、構成が変じゃないか?と私は何度も読み返して文章を完成させ、夫にメールをするという事をよくやった。

この夫に対する調査報告メールの一連の作業が私のスキルになって身についた。

気が付いたらこの英語の調査報告メール作業は、私のスキルとなり仕事で使えるようになっていた。

夫からはそれまで自分になかった文化も学んだ。そのひとつは、

”人は全員価値があり、命の重さは全員同じ”であるという価値観。

この人間社会のなかで、高学歴とか、社長とか、ステータスで気後れする必要はないし、卑屈になる必要もないということ。

なんやかんやと私は夫と数えきれない喧嘩をしたが、夫はそれらを通して私に健全な価値観をくれた。

”誠実さと公平さを考えた主張をする”訓練の場を得て、これにより私は大人として社会や、会社を渡り歩く力が身についたと思う。

夫から私へ夫婦としてのリクエストもあった。

「他人から不当に言い負かされるな!食い下がって公平な結果を出してこい!君が不当に負かさたら、僕も一緒に損をするかもしれないじゃないか!」と。

夫はアメリカ人の中でも特に社交的なほうだ。それで人見知りだった私も、見ず知らずの人とコミュニケーションを取ることを夫との暮らしでずいぶん訓練させられた。

夫は私との初デートで、英語も上手く話せない人見知りの私を友人のホームパーティに連れていき、夫は良かれと思って私を放置した。

夫は押しが強いアプローチをするよりも、私が気楽に色々な人と自由に話し楽しめる方がいいだろうと思ったらしい。

私としてはまるで大海原に投げ出された金魚のような気持ちだったが、「ここはアメリカである!」と自分に言い聞かせ、努力して話し相手をみつけてなんとかそのホームパーティーは乗り切った。

彼と行動していると見ず知らずの人と出会う事が山ほどあり、見知らぬ人とカジュアルに話すスキルもいつの間にか身についた。

25歳くらいまで碌な英語も話せず、どっぷり日本文化に染まった人見知りも、数をこなせば英語ペラペラで社交的な人になれるのだと私が証明する。

英語スキルを必要とする仕事をするなら、”異なる意見を最後まで討議する力”を訓練をするといい。

実際の仕事の実務でコレが出来るか出来ないかで結果も評価も変わるだろう。

そしてそれは「キャリアわらしべ長者」の道を歩むのにはきっと必需品になる。

タイトルとURLをコピーしました