夫の昔からの友人はアメリカの色々な都市に住んでいる。
比較的東海岸側に集中しているが、それぞれ結構離れたところに住んでいるのだ。それぞれ自分の仕事を得た地域に暮らし移す人も多いらしく、転職を機に新しい土地に引っ越すケースも沢山あるらしい。
中には自分の育った親のいる地域に定住する人もいるが、アメリカは日本よりも移住がもっと普通のことであるように感じる。
新しいチャンスを得たから。住みたい地域を見つけたから。子供家族の近くに住みたいから。と、色々な理由があるのだろうがアメリカでは、若くても年を取っていても新しい町への引っ越し話をよく聞くのだ。
というわけで、私たち夫妻のアメリカの友人たちは結構色々な所に散らばっている。
アメリカに住んでいると車で10時間以上運転して何処かに行くという話も結構聞く。
家族に会いに行く。友人に会いに行く。そして旅行に出かける。色々な理由で結構みんな長距離ドライブで出かける。
一人で出かけるのであれば長時間のドライブよりも飛行機を使うようだが、家族で出かけるとなると特に子供が居る場合、車で10時間を選ぶ人も多いようだ。
小さな子供が3人以上いる場合は特に、2時間のフライトよりも10時間のドライブの方が子供を管理しやすいという部分もあるのだろう。
車で長距離ドライブすると、ボーナスがついてくる時がある。
少し周り道をしながら親戚や友人の住む街を経由するのだ。
「30分くらいの回り道をすれば会えるなー」と思ったら連絡を取ってお家にお邪魔するか、一緒に食事をする計画を立てて移動にプラス1日加え滅多に会えない人達と楽しい時間を足し、より楽しい旅路にしたりする。
アメリカの高速は基本無料だから気軽に長距離ドライブでの遠出をするのだろう。
料金のかかる道路もあるが、あったとしても一定の区間に設けられている道路で料金も100円から1000円の道路使用料を取られる程度だ。私はアメリカで、この数年そのような料金を支払う道路を通っていない。それを踏まえて考えると、有料道路は滅多にないのだと理解してもらえるだろう。
アメリカの高速道路を走っている途中の給油だったり、トイレや食事休憩は通常高速を降りる。
高速の途中にトイレがある休憩所は一応存在するものの、多くの人は高速を降りる方が多い。高速の出口案内と一緒に、その近くににある給油所、レストラン、そしてホテルの案内が出ているので目ぼしいお店のマークを見つけたら高速を降りればいいだけだ。
夜遅くに運転していて「もう疲れて運転するのが危ないな」と思ったら、高速の出口案内のホテルを確認し高速を降りて近隣のホテルに泊まることもある。
我が家も長距離ドライブに出かけるが、さすがに10時間を超えるドライブの時には我が家は途中で1泊することが多い。結婚当初はこの長時間ドライブに驚いたが、実はもっと驚くことがあったのだ。
それは道中に私が会ったこともない全然知らない夫の友人の家に泊めてもらうという事だった。
夫は、「せっかくの機会だし、遠回りして友人の家に立ち寄って泊めてもらおう!」というのだ。宿代も不要になるし、友人との楽しい時間を過ごせるからと言うのである。
日本育ち、日本コミュニティで育った私は、「知らない人の家に丁度いいから一晩泊めて~なんてお願いするなんて全然理解できないんですけどっ!だから無理無理、無理です!!」と拒否ったことを覚えている。
しかし今となっては、「そんな風に思った事もあったっけね。」なんて思うのだ。今ではまだ会ったことのない夫の友人の家に泊れるチャンスがあると聞けばウキウキして泊まらせて頂いているのである。
そして私たち夫妻も同じように友人達を我が家に迎えているのである。
なんだかんだ言って、結局私たち夫妻はこの結婚生活で遠出をしつつ友人の家に泊めてもらう事が何度もあった。
夫の古い友人たちは誰もが私の事も快く迎えてくれて、共に楽しい時間を過ごしてくれたのである。たとえ短い時間でも共に食事をし会話を楽しみ、私の事も友人の輪に加えてくれるのだ。
友人宅を去る時にはすっかり皆と仲良くなり、再度会う機会を期待して別れるのである。
日本では2020年のオリンピック開催が決まった時から”おもてなし”という言葉が流行り、日本は一流の”おもてなし”をする国であるというイメージを世界へではなく、日本人に植え付けた感じがする。
確かに日本で受けるサービスの基準は高いとは思うのだが、なんだが違和感がある。
私にはアメリカに住む会ったこともない夫の古い友人宅で受ける”おもてなし”の方が何倍も勝っているのではないかと思うのだ。
アメリカの全国民が素晴らしいおもてなしをしてくれるわけではない。恐らく私たち夫妻を家に泊めてくれる我が夫の友人は、アメリカ国民の中でも人として成熟している素敵な人達なのだろうと思う。
夫の古い友人達は家が大きい人であれ、小さい人であれ無理をせず暖かく迎えてくれるのだ。
家が狭いとか片付いていないなんて事は置いておいて、ただ暖かく迎えてくれて心から「自由にくつろいで」と言ってくれるところが素晴らしいと思う。
手厚い準備をして私たちを迎えてくれる人もいるし、気張らずいつもの暮らしに招いてくれる人もいる。
客間がなくてもリビングのソファーにブランケットやシーツを用意して泊めてくれる人もいる。ソファーが小さくて足がソファーからはみ出してした状況で寝ることになっても、「こんなんで良ければ泊まって行って」と言ってくれる事に私はとても温か味を感じるのだ。
会話を楽しむ時間がたとえ数時間しかなくとも、私たち夫妻を迎えてくれる夫の古い友人は私の知らない昔話もするけれど、私の事や夫妻の生活についても色々と興味を持って質問してくれる。
そして自然に私も友達の輪に加えてくれるのだ。別れの時が来ると、こんな風に自然に自分を受け入れてくれる人たちと過ごす時間がもっと長ければいいのにと名残惜しくさえ思ったりする。
宿泊させてくれる友人と外食をするのであれば、私たち夫妻が食事代の支払いを申し出るようにしているが、そもそも食事も用意してくれている場合も多いので、本当に何から何までお世話になることが多いのだ。
基本私たちは大体いつも手ぶらで友人宅に訪問している。だから友人にレストランでの食事をご馳走で出来なければ本当にもてなして貰うだけなのである。
アメリカで完全にお世話になり、もてなして貰う体験を幾つもして、私は日本は本当に”おもてなし”の国なのだろうか?と考えるようになった。
今の日本はとても窮屈な場所に感じることが多い。
インターネットの記事を見れば礼儀知らずとか、マナー違反なんて言葉が溢れている。
親しき中にも礼儀ありとか色々な方向から「こうするべき」、「ああするべき」という常識を装った押し付けの規則を感じる。
恐らく日本には昔から「こうするべき」、「ああするべき」というルールがはびこり、それが私たちの生活に自然に溶け込んでしまっているのだろう。
そういう文化背景を持つ私は、見ず知らずの一度も会ったことのない夫の友人宅に到着時間も分からない状況で通過ついでに、その家に泊るという事が恐ろしかったのだと思う。
たぶん日本だと、このようなことは”非常識”に当てはまるなるような事だからだ。
私たち夫妻がある友人宅を訪問した時に渋滞にはまってしまい、友人宅への到着が深夜になってしまったことがある。
友人に電話をして連絡すると、「自分たちは寝るので、カギを隠してあるから勝手に入って、玄関のすぐ横にある部屋で寝てね。」と言ってくれた。
友人宅に到着してみるとテーブルには置き手紙があり、「のどが渇いたり、お腹がすいてたら勝手に冷蔵庫からでもパントリーからでも勝手に取って食べてね。」と書いてあった。
アメリカではこういう時、本当に勝手に冷蔵庫を開けて飲食をするのである。
しかし別れの時間は意外なほどにあっさりしたりするからビックリするのである。
こんな風に泊めてくれる友人の家は戸建ての場合が多く、家の目の前に車を置いているのだが、殆どの場合見送りはない。家の中でサヨナラをして別れる。
家の外に出てきたとしても、挨拶をしたら基本すぐに家に戻るのだ。車がなかなか発進しなければ、「またねー」と言って、さっさと家に入り、見えなくなるまでのお見送りするなんてことは殆どない。
私はこういうアメリカの気軽に迎えてくれるスタイルが凄く好きになった。そして日本で誰かの家にお世話になる方がよっぽど気疲れをすると思ったくらいだ。
しかし我が家は日本にいても、基本はアメリカ文化スタイルで生活している。なので狭い家でも友人さえよければ、我が家は気楽に連泊でも泊まって貰うようになった。
私たちが旅行中で不在だったとしても勝手に泊まってもらっている。
我が家は人を招くことも多く、朝起きると夫が連れてきた友人がソファーに寝ていたことも度々あったりもしたが、私も別に驚きもせず皆で一緒に朝ごはんを食べたりすることもあった。
そのうちの一人は今は家族持ちになり、家族ぐるみで仲良くしている。
もし将来、仲良くなった外国人の人がいて、「是非母国に遊びにおいでよ!」と言ってくれる人がいたら、その人は恐らく「うちに泊まりにおいでよ」って意味をもって言ってくれているんじゃなかろうか?
もしもそんなチャンスがあったら、ぜひ言葉に甘えてお世話になってみたらいい。
貸し借りなんて考えずに、たまにはただ借りるだけを体験するのもいい。
こういう借りるだけの経験を通して本当の人の温かさを知れるだろう。そして自分も同じように人の温かさを誰かに与えることができたら、きっとこの世の中もっと温かくなるだろうと思うのだ。
理想のお・も・て・な・しを考える
- 国を挙げてのおもてなしではなく、個人で行うおもてなしをしよう
- 押しつけ型ではない、選択型のおもてなしをしてみよう