数年前から私は、数か月~半年程のアメリカ滞在を繰り返し、日本とアメリカの行き来繰り返してきたが、昨年の春から腰を据えてアメリカで暮らし続け約1年が経とうとしている。行ったり来たりした生活では難しかったことが、腰を据えた暮らしで状況が変わってきた。
腰を据えたアメリカ生活
腰を据え、本格的にアメリカでの生活をして1年が経った。昨年の春時点でも合計すれば、私は自分の人生の3年以上の期間、アメリカ暮らしの経験があった。英語も日常生活で困ることは殆どない。それでも、やっぱりこの一年、アメリカでの暮らしは容易ではなかったのだ。
生活は夫が支えてくれるし、夫はアメリカ人なので私が分からないことがあれば彼に聞けばだいたい解決する。夫が何でも助けてくれる生活ではあったが、それでも私は色んなことに満足できない日々を過ごしていた。
そんな不満のつのる私のアメリカ暮らしが10カ月を超えた辺りから変化が起きた。
まずは、自分がココだ!と思えるキリスト教教会に全く予想していない形で訪問する機会を得た。そして、その教会を通して親しい友人ができ始めたのだ。
車社会の暮らしにもすっかり慣れて、車の運転も好きになった。そんな時、私は知り合いを通して、仕事をする機会も得たのである。
加えて、私の英語力も飛躍的に成長したように思う。簡潔に分かり易く物語を伝えれるようになったし、耳が育ったのか、アメリカ英語の発音が以前よりハッキリと聞こえるようになってきたし、自分も同じように発音が出来るようになってきた。
親しい友は生活の必需品
私の一番の友は夫である。私たちの結婚生活は10年以上経った今も順風満帆なものではない。私達は性格も違うし、考え方も違う。お互いにそれぞれを尊敬して大切にはしているが、それでもお互いが譲らず大きなけんかをちょいちょいする。
そんな私と夫との暮らしを近くで励ましてくれる友人が私には必要なのだ。もちろん、くだらないことを笑い、美味しい物を食べ、他愛のない話をすることも必要だけど、私は日々の悩みを開けっぴろげに話し、共に神様に祈り合い、励まし合える友をアメリカ生活で求めていた。
日本での私の暮らしにはいつも近くに友がいた。誰かとお喋りしたいな~と思ったら、いつも誰かが私と楽しいひと時を過ごしてくれていたが、私のアメリカ暮らしにはそれが欠けていたのだ。気軽に会って、なんでも話せる友人の不在は私にとって試練となった。
そんな私の日常に、突如変化が現れた。ひょんなことから、私が通っていたのとは違う家から直ぐのキリスト教会に行くことになった。数か月通っていた教会からは離れ、私はその近所の教会に通うことにしたのだ。そして、私はそこで親しい友人を得たのである。
良い教会というのはそこら中にある。今までに、「ココが自分の行くべき教会だ!」と思ったという話を他人からは聞いたことがあったが、私自身がそう思ったことはそれまで一度もなかった。しかし、アメリカ暮らしを続けているうちに、とうとう私もそう思える教会に出会ったのだ。
私は自分が属する教会を求めていたし、親しい友人が与えられるようにも祈り、それらを得た。
毎日祈る時間を死守できているわけではないが、私の暮らしには祈りがある。感謝すること、喜ばしいこと、苛立つこと、願っていること、不満なこと等、なんでも神様に祈る。自分の力ではどうにもならないことも、祈っていればいつかどうにかなると私は感じている。
車社会に慣れ、仕事も得た
私は日本にいるときは完全なペーパードライバーだった。18歳の時に車の免許を取得したが、私の人生で日本国内で車を運転したのは免許取得後、ほんの数回程度である。しかし、アメリカ暮らしには車が必需品で、それがなかったら殆どどこにも行けないのだ。
そんなわけで日々車を運転していたら、すっかり車の運転にも慣れて、一人で行きたいところに気軽に行けるようになり、車の運転も好きになった。
車の運転にも自信が付きはじめた頃、教会で知り合った友人の一人から、友人に仕事を手伝ってくれる人を探しているという人がいるからと、その人からメールを通し紹介された。ビデオ会議でその社長さんと話をしただけだったが、そんな短いプロセスを経て仕事を手伝うことになったのだ。
私は昨年の夏ごろから仕事を探し、LinkedIn等のお仕事探しツールを使って100回は仕事応募してみた。しかし、私が興味のある仕事には箸にも棒にもひっかからない。コネが無いのに応募しても相当難しいと言われてた通りの結果だった。
近所のスーパーや小売店でパートをすることも考えてはみたが、数か月に一度位は良さそうな仕事の話がリクルートエージェントから来る。しかし、望まれるスキル条件が微妙にマッチせず、結局仕事を見つけられないまま何カ月も経ってしまっていた。
仕事が見つからないという理由でも私はアメリカ暮らしに不満を持っていたが、何カ月も仕事についても祈り求めていたら、なにやら面白そうな仕事が舞い込んできたのだ!
意識した英語100%の暮らし
日本で暮らしている分には10年前の時点でも、私は英語がペラペラと言われる部類だったと思う。しかし、実は細かい発音を聞き取ることができてなかったり、自分も上手に発音できてはいなかった。英語で物語を初めから終わりまで上手に話すことも得意ではなかった。
仕事でも生活でも、ある程度の英語力があって、家族や同僚と言うような同じ人とのコミュニケーションが繰り返される環境だと、その時点の英語力を先へ伸ばすには加えて学習をしない限りなかなか伸びることは無いと思う。私自身、そういう時期を経て生きてきた。
しかし、アメリカ暮らしを本格的に始めて、日々知らない人と話すことが増えたとき、相手から私の話したことに対して「なんて言った?」と、聞き返されることがあったりして、自分の英語力をしっかり伸ばしたいと思う気持ちが大きくなり、私は改めて英語学習をすることにした。
英語を上達させたいなら英語の本を読めと夫から長いこといわれてきた。というわけで英語の本を読み、分からない言葉は英英辞書で意味を調べ、発音を練習し、発音記号の書き取りもした。最後の確認に、英和辞書を確認するという手法で学習を続けることにした。
聞き取りと発音についてはYouTubeで何人か先生を見つけ、その人たちの動画を見ながら真似て各単語の発音学習を繰り返した。その甲斐あってか、難しいと思ってた発音や、聞き取りも次第にクリアになってきたのだ。やっぱり学習の力はすごい!と改めて実感したのである。
私が英語を話せるようになりたいと思い学習を始めたのが25歳頃の話で、23歳時点のTOEICは300点台だった。大人になってからでも、努力して学習すれば、その分英語は伸びると思う。
本当に英語を話したいと思ったらとにかく根気強く学習を続けること。成長のスピードは遅いかもしれないが、続けていれば徐々に知らない内に成長する。気が付けば、自分の英語は成長していたと感じる節目というのをきっと経験するだろう。
諦めずチャレンジを続ける
とにかく何事も諦めず、希望を持って出来ることをする。ということが大事なのだと思う。英語の勉強がいい例で、努力し続けていれば、「気が付いたら成長していた」というようなことになる。
しかし、親しい友人を得るとか、やりたい仕事を得る等の目標達成は、努力だけでは難しい。私は与えられたチャンスは掴もうと、よっぽど怪しいものでないかぎりは、誘いを受けたら断らず誘いに乗り、仕事探しのためには、履歴書の書き直しなども10回以上はやったと思う。
世の中には色んな難しいことがあり、自分のコントールではどうにもならないことばかりだ。そんなだから、私は救い主兼神であるイエス・キリストを信じ、全てのことに希望を持つことを選んでいる。この道には平安があり、心が乱れても再度平安と希望を与えてくれるのだ。
そういう安心があるからこそ、私は色んなことにチャレンジをし、出来ることはすべてやろうと思えるのだと思う。心が折れそうだと思うことがあっても、その苛立ちを吐き出させてくれる神様であることも私にはとても魅力がある。
私は英語の発音で躓いたときにも、苛立った心で神様に不満を漏らしつつ、理解できるようになるように、正しい発音を聞く耳と発する音を与えて欲しいとさえ祈ったりもした。努力でなんとかなったのか、神様が超人的な力で助けてくれたのかは分からないが、とりあえずなんとかなった。
本当に色々と人生には難問が多い。だからそこ多くの人が、救い主兼神であるイエス・キリストを信じ受け入れ、心に平安と希望を持ち、努力して様々な取り組みで成果を得てくれることを心から願っている。

