アメリカでは大統領選挙が近づき、多くの各家庭の庭には指示立候補者のパネルが掲げられている。年中そんなパネルを掲げている人も存在するが、今年の11月の大統領選に向けて夏の終わり頃から徐々に増え、住宅沿いの道路を運転すれば各家先に並ぶ支持候補者パネル群が横目に入る。
サインボードで支持者表明
日本では支持している政治家を掲げるサインボードを家の前に掲げる家に遭遇することは殆どない。たまに目にするものと言えば、共産党支持者であろう人の家の壁に共産党ポスターを貼っているくらいである。
しかし、私の住むアメリカ地区では30~40%の家庭が大統領選挙へ向け、支持者の名前が書かれたサインボードを皆に分るように家の前に掲げているのだ。政治についての自分の考えを他人に向かってハッキリと示す文化は日本のものと大きく違うと感じるのである。
このような政治支持者についての意思表示は自宅のサインボードだけではない。車にステッカーを貼り、意思表示をする人も多くいる。近所のスーパーの駐車場に止まっている数十台の車を見れば、少なくとも数台の車に政治支持者のステッカーを貼ってある車が目に入る。
政治話を好む人と毛嫌いする人
政治支持候補者のパネルを掲げる家の持ち主や、車にステッカーを貼る者であれば、誰を支持しているかは明白で、政治話は好きなのだろうと予想するが、対立した候補者を支持する者同士が建設的な討論を出来るかはまた別の話だと思う。
4年前の大統領選挙後には、「盗まれた選挙」と騒ぎ混乱した時期があったが、当時は多くの人が政治の話をするのを毛嫌いしていた。それは、多くの人が感情的な討論の末に喧嘩に発展するということがあったかららしい。
その後遺症により、今も政治の話はしたくないという人が一定数は存在しそうなので、「この手の話題を振る場合気を付けた方がいいだろうか?」と、気に病むかもしれないが、そこまでは気にする必要はないだろう。
そこはアメリカである。この話題を話したくないという人であれば、直接的にハッキリと「それについては話したくない。」と言うだろうから、そう言われたらその意見を尊重すればいいのである。
居住区による支持政党色
非常に興味深いことだが、各都市のダウンタウンと呼ばれる地区の家々には非常に多くのHARRIS(ハリス)サインが表示されていて、同都市近郊エリアに入るとTRAMP(トランプ)サインが多く掲げられている傾向が強い。
それは今始まったことではなく昔からの流れらしい。ダウンタウンエリアに住む人々には民主党を支持する場合が多く、都市近郊エリアに住む人々には共和党を支持する場合が多いのだ。
つまり、選挙があるとどの候補者を支持するかということよりも、結局はどの政党を支持するかという要素が強いということになる。
しかし、このトレンドが直近6~7年で違いを見せているように思える。それはやはりトランプ嫌いによる影響だろう。基本的な政治の支持政党は共和党であるにも関わらず、極度なトランプ嫌いにより、トランプではない誰かという選択肢で民主党候補者を選ぶ人が多く存在することに驚くのだ。
私からすると、候補者が誰かはさておき、その人の掲げる政策を見て決めるべきではないか?と思うのだ。それにトランプの掲げる政策は、悪いものだとは思えない。
しかし、彼のキャラクターが悪目立ちしすぎているのだろう。そんなトランプをアメリカという国家の家長にしたくないのだという人が相当数いることは間違いなさそうだ。
人柄と能力ならどちらを選ぶか
私は職場で一緒に働く同僚には人柄が凄くいい人よりも、嘘さえつかない人であれば不愛想でも嫌な奴でも仕事が出来る人と一緒に働きたいと思う方である。だから私は、同僚がトランプのような態度の人でも良いと思うのだ。
しかし、本来は共和党の政策支持者だというのにトランプ嫌いの為にハリス支持をしている人々は同僚がトランプだったら受け入れるのかは謎な部分である。リーダーとしてのポジションでなければトランプを同僚として受け入れられるのか聞いてみたいところである。
というわけで、今のアメリカの支持政党のあり方は相当歪んだものになっているに違いない。
私の知るやり手のビジネスマンにはトランプ支持者が多い。そして、彼らの多くはトランプ政策はアメリカ社会全体にとって良いものだというのである。アメリカ社会の経済力を底上げできる政策であるということだ。
ハリス候補者も経済についての政策はあるが、そもそも民主党の政策は手厚い社会保障なのだから、どうしても金の掛かるものなのである。
私自身、税金を納める者としての政治に対する考え方は、「税金はバラ撒くな!」である。だから私のような者は基本、共和党の支持者になるのだと思う。
Republican Party(共和党)の政策特徴
- 小さな政府と最低限の保証
- 資本主義社会と自由競争
Democratic Party(民主党)の政策特徴
- 大きな政府と手厚い保障
- 民主主義社会と規制調和
国の借金を考える
私は個人的に借金はできる限り避けたいと思うほうだ。以前の私は自分の財布のことしか気にしなかったが、改めて自国の経済状態は健全であるべきと思うようになった。だから、国が借金を膨らませていることについて他人事ではないと感じ始めたのである。
今は多くの国が沢山の借金を作っている。「政府は好きなだけお金を印刷すればいいのだ。」という学者もいるが、個人の借金が不健全であるなら、国の借金だって健全であるわけがないと思うのだ。その借金の代償は、いつかどこかで個人にも多大な影響を及ぼすに違いない。
アメリカの政治家になかなか面白い人がいる。Thomas Massie(トーマス・マシー)という共和党の政治家で、あの有名なMITで機械工学を学び、起業した成功者なのである。そして彼はアメリカ国家の借金メーターバッジを制作し、それを身に着けているのである。
小さな政府の必要を大きな声で唱え、国の借金について全く怯むことなく問題提起をするマシーを私は信頼できると思うのだ。マシーは、「政治には選り好みをしている弁護士より、問題解決に挑むエンジニアのほうが必要だ。」と声高らかに言っている。
確かに事実を分析し、解決策を作れるエンジニアが政治家として活動することは、なかなか理にかなっている気がする。優秀な弁護士とエンジニアが集まれば現実的且つ、効果的な政策を施行することは可能な気がするからだ。
さて、日本の政治家はどうだろうか?そもそも弁護士資格を持っている政治家がどれだけいるのかも謎である。私は以前より、「法案について討議するのに、弁護士のような法の知識を持たずして、話を進めるのに支障はないのか?」と気になっていた。
弁護士資格についての話題はさておき、エンジニア的思考と解決策を生み出せる人材の必要は日本の政治にも大いに必要だとおもうのだ。
私は政治家が、国会の大事な討議の時間を不祥事の責任追及に多大な時間を使うことは相当な的外れな気がしている。不祥事についての責任追及は別の機会を準備して貰い、国民にとって本当に大事なことを決める時間に使って欲しいと心から願うばかりである。