当ブログはアフィリエイト広告を利用しています

田んぼの思い出持つのもいいじゃない

暮らし話

田んぼは日本が誇る美しい風景のひとつじゃないだろうか?

9月稲穂が垂れて黄色に色づいた田んぼは、もう少しすると稲が刈り取られすっかり様変わりした姿を見せる季節がやってくる。

稲刈りが終わる頃、やっと雑草の伸びる勢いも落ち、田んぼ周りに出没する生き物の数も減ってきて、田んぼと田んぼの間のあぜ道を歩くのが楽しくなってくる季節である。

田んぼのあぜ道を歩くというのはなかなか雰囲気があって素敵なのだが、現代の若者の内どれくらいの日本人が、田んぼのあぜ道を歩いたことがあるだろう。

稲刈りの終わった季節に限定してしまったら恐らく田んぼのある土地で育った人以外で、稲刈り後の田んぼのあぜ道を歩いたことがある人は相当少ないだろう。

私にとってひときわ胸に刺さるのは、夕暮れの迫った稲刈り後の田んぼである。

私の心に残る思い出は少々美しく加工されてはいるものの、この季節の日が沈む時間の田んぼあぜ道歩きは紅葉にも負けない美しさを持っているのだ

一年を通して田んぼのある風景は美しい。

田植えの時期の小さな緑の苗が揺れる水の張られた田んぼも美しく、稲穂が付く前の青々と成長した稲のある田んぼも美しく、刈り取り直前の黄金の稲穂の姿も美しい。どれも素敵なのだが、私は思い出深い稲が刈り取られた田んぼが好きなのである。

私の父親の実家ではいくつも田んぼを持ち、私は子供の頃から毎年家族総出で稲刈りなどの田んぼイベントに駆り出されていた。

そのなかで何故か私の記憶には田植えよりも稲刈りイベントの方が強く記憶に残っているのだ。

大人になってから思うのだが、子供の頃に稲刈りイベントを何年も体験出来たことは貴重で価値ある体験であった。そして田んぼでの時間は大事な思い出となって私の記憶に残っている。

しかし実のところ私は、稲刈り自体の事はあまり覚えてなく、稲を刈ったあとの時間のをよく覚えているのだ。

私の記憶に深く残っている思い出のひとつは稲刈り後のお風呂のことである。

田んぼで一日中稲刈り作業をし泥だらけになった。私が泥団子を作って皆よりも泥だらけになっていただけかもしれないが、夕方まで作業すると誰もが汗や泥でかなり汚れて私達はいつも皆でお風呂に出向いたのだ。

田んぼ作業を終えた私たちは皆で軽トラックの荷台に乗って車で5分程の公共のお風呂に出掛けた。

今では規則が厳しくなって出来ないだろうが、当時はいつも行きも帰りも軽トラックの荷台に大人も子供も乗れるだけ乗って、田んぼのデコボコあぜ道をキャーキャー騒ぎながら運ばれたのである。

私たちが行った公共のお風呂は地域のゴミ焼却施設にあり、ゴミを焼却する熱を使ってお湯を沸かしているお風呂で入浴するのにお金を払った記憶はない。たしかいつもタオルの他にはハンコを持って行っていたように記憶している。

建物に入ったら、受付にあるバインダーに挟まれた一覧表に名前を書きハンコを押せばお風呂に入れるのだ。公共のお風呂施設とはいえ無料で入浴できるなんてかなり太っ腹だが、今改めてその施設を調べると、今も入浴施設は存在していているが現在は50円程の入浴料金を徴収しているらしい。

もうひとつの稲刈り後の田んぼでの思い出は、イナゴを集めである。

稲刈りの終わった田んぼは水が抜かれ乾いた状態の土壌が広がっているのだが、そこにはまるで無数の細長いたわしを置いてあるような風景が広がる。

それは稲刈り後に残った稲の根元なのだが、子供の頃はそれらを避けて走るゲームをしたり、わざと踏みつけたて前に進むゲームをしたりと、私の楽しい遊び場であった。

すっかりと乾いた稲刈り後の田んぼには、相当な数のイナゴがぴょんぴょん飛んでいたのだが、私たち子供はイナゴを収集するのが私達のお仕事だった。

ひとりひとりイナゴ取り袋を渡され、ゲーム感覚で田んぼを駆け回りイナゴ取りに熱中した。

イナゴ集めは父の実家作るイナゴの佃煮の為だったのだ。

木綿の手ぬぐいで作られた袋とストローの様に加工された竹を用意し、袋を巾着のように閉め、巾着入口にその竹筒を差し、巾着と竹筒をタコ糸で巻き付け固定した袋を渡され、私達子供はせっせとイナゴを捕まえては竹筒を通し沢山のイナゴを袋に格納した。

父の実家の台所ではそうやって収穫された竹筒が刺さったイナゴの入った袋を回収し、袋の口が開かないよう注意をして竹筒を抜き、袋の口をタコ糸でギュッと閉め、イナゴたちは袋に入ったままの状態で熱湯に沈められ調理された。

私はこのイナゴ取りを存分に楽しんだが、イナゴの佃煮は食べる気にならず、私の人生において未だにイナゴを食べたことはない。完全な食わず嫌いだが、とりあえずイナゴの佃煮は食糧難になるまでは遠慮させていただきたいと願う。

基本的に私は虫は苦手だが、このイナゴ取りの経験が功を奏してか、バッタ類との触れ合いに関してなら私の免疫は未だに健在である。ハイキングやピクニックに行ってもバッタ類であれば、こちらにジャンプしてきてもビビらなくてすみ、気軽に手で捕まえたりすることも出来る。

私が子供の頃に触れ合ったイナゴたちは最終的には熱湯に沈められてしまったことを考えると心温まる思い出といえるか疑問もあるが、私は今もバッタ類には何かしら親密なものを少しだけ感じているのである。

見知らぬ人の田んぼに勝手に入ってはいけないだろうが、秋の稲刈り後の田んぼのあぜ道であれば散歩すること自体は問題ないだろう。

もし機会があれば夕暮れ近くに田んぼのあぜ道を誰かと共に歩いてみてほしい。それはきっと紅葉を見に出かけた時にも負けないような素敵な思い出になるのではないだろうか。

タイトルとURLをコピーしました