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イースター キリストイエスは甦った

アメリカ暮らし

2024年のイースターは3月31日であった。

イースターとは日本語で言うと、復活祭というイエス・キリストの復活をお祝いする日である。絶対にウサギの日ではないのである。

イエス・キリストは十字架にかけられ処刑される前から「イエス・キリストは3日後に復活するという」預言をして、その後神様の計画通り3日後の日曜日に復活した。その記念日がイースターである。

そして処刑された金曜日は、グッドフライデーと言われる記念日である。

このイースターはクリスマスに並ぶ大きな行事である。しかしクリスマスと大きく違う部分は、クリスマスは毎年イエス・キリストの誕生日である12月25日に祝うのだが、イースターの日は毎年違っているのだ。

しかしイースターは必ず日曜日という部分は決まっている。春分の日の後にある、最初の満月の次の日曜日という設定になっている。だから毎年違う日にお祝いをすることになるのだが、日曜日という部分は固定されているので比較的家族と過ごしやすい日程だ。

アメリカで家族が集まる日といえば、感謝祭のサンクスビギングに、イエスキリストの誕生祭であるクリスマスと、復活祭のイースターだ。多くの家族はこの3つのお祭りは家族と共に祝うのである。

熱心なクリスチャンの家庭ではなかったとしても、中高年のアメリカ人の多く達は子供の頃、クリスマスとイースターには教会に行って育っている。まさに私の夫がそういう環境で育ったと言っていた。

現代のファミリーはクリスマスであっても、イースターであっても教会に行かない人は増えているかもしれないが、普段は教会に行かないという人もクリスマスとイースターには教会に行くという人は多いようだ。

私達夫妻は共に毎週教会に通い、聖書を読むクリスチャンである。クリスマスとイースターにも教会に行き礼拝に出席するが、クリスマスとイースターに集う人数は普段の日曜日の礼拝よりも多いことからやはりこの2つの礼拝は特別なのだろう。

日本でも沢山の人がお正月になると初詣で神社やお寺に行くのと似ているのではないだろうか。

アメリカには本当に沢山の教会がある。そして教会は別にクリスチャンやその教会員の人だけが集う場所ではなく、誰でも歓迎されるべき場所である。多くの人がそうは感じないというかもしれないが、誰に対しても開かれた場所のはずなのだ。

海外に住むと寂しい思いをする人も多いし、頼る人が少ないということがある。

私はそんな時、近くのキリスト教教会に出向いて欲しいと思っている。期待するものがその時に与えられる保証はないが、希望のかけらを持って行ってみて欲しい。理由は何であれ教会では助けが必要だという人の話を聞いてくれる人が必ずいるはずだ。

ある程度の都市部だと、日本人教会もある。英語の壁があるなら日本人教会を訪問してみてほしい。

それでも敷居が高いと思ったらクリスマスやイースターの時に教会を訪れてみるのもいいのではないだろうか?

欧米の社会の思考には沢山のキリスト教の恩恵がある。欧米社会を知るのにキリスト教の教えは切っても切れない物があるように感じる。平等な人としての価値と、愛し助け合うということ、そしてなぜ正しいことをするのかということを言葉を通して学ぶきっかけを教会は与えてくれる。

沢山の日本人が「キリスト教ベースである国だって、過去に戦争を起こし殺し合いをしてきたじゃないか!」と言う意見を沢山聞いてきたが、それは罪の性質を持つ人間が起こしてきたことで、決して神様が引き起こしている訳ではない。

しかしそういう罪の性質を持つ人間を神が愛し、イエス・キリストという代価を持ってあがなってくれたことを心に刻み、悔い改めて愛を持ち正しい歩みを進むと決めた者がクリスチャンなのである。別にクリスチャンから罪の性質がなくなっているわけではないのだ。

イエス・キリストは罪のない完全な人生を送ったのにも関わらず、全人類の罪の代価を支払うために十字架にはりつけられて全人間の代償を支払い終え完全に死んで、3日目の日に完全に生き返り復活した。

これは人間を深く愛する神様が全人類を救うために計画した完了済みの壮大な愛の救済計画であり、つまりイースターとはこのイエス・キリストの復活をお祝いする日なのである。

このイエス・キリストの復活がキリスト教の要なのだ。誕生があってこそだが、キリスト教にとってこのイースターはクリスマス以上の意味を持つのではないだろうかとも考えられる。

イエス・キリストは神であるのに人としてこの世に生まれ、全人類を救うために死んで罪の清算をして生き返った救い主であるということを人々が認め、悔い改めて生きる者となることを神様は待っている。

人は過ちを沢山犯すが、それを悔い改めて神様により頼み、日々軌道修正しながら歩む道が私達には選択肢としてが与えられているのだ。

私はこの神様のイエス・キリストを用いた完了済みの人生の救済計画を信じてクリスチャンになり、何とも言い難い平和を私の中に得た。

この先、多くの人がこのイエス・キリストの復活により頼んで、新しく揺るがない平和のある人生を歩むことを心から願っている。

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