英語が出来るというのと、英語圏でコミュニケーションがうまく取れるというのはまた別の事だろう。
TOIEC高得点スコアを持っていることと、英語でコミュニケーションを円滑に取れるということも全く比例しない。スコアが高いのにも関わらず中には英会話はあまり出来ないなんて人もいる。
わたしは一応日本国内であれば、英語が割と喋れる方に部類されているもののネイティブからはかけ離れているし、脳内は基本日本語ベースである。
だから英語が上達しても、英語のコミュニケーションに日本文化コミュニケーションを取り入れてしまい、頻繁にドストレートな夫から注意を受けることは日常茶飯事だ。
私は実に真剣に彼の質問に回答しているつもりなのに、「僕の質問に答えてくれ」とよく言われるのだ。
つまり彼の質問に対して、私の答えが的外れなものだという事になる。例えば色を聞かれているのに、形状を答えてしまっているのだろう。
私は至って真面目に質問されたことに対し最善を考えて答えているつもりだが、どうも質問に対する答えになっていないらしい。これが文化的なギャップでコミュニケーションに支障をきたしている。
私は貰った質問を自分なりに解釈してより良い答えがあるとおもった場合は、質問の幅を私なりに広げ答えを直接的に返さずに先読みし、良かれと思ったことを答えてしまうのだ。しかも無意識にである。
これは日本人の間では何の問題もなく受け入れられていると思うし、問題になったことはまだない。
例えば出かけた先のデパートでショッピングをしているとする。そこで「このフロアにトイレはあるかな?」と聞かれたとき私はつい「あるよ」「ないよ」とは答えずに、「この通路を歩いてった右側にあるよ」とか、「下と上のフロアにはあるよ」と答えてしまうのだ。
挙句の果てには「お腹の調子がわるいの?」なんて聞いてしまうかもしれない。
しかし聞き手は純粋にそのフロアにトイレがあるかないかだけを知りたいだけだったりするから、質問に直接的に答えてもらえないと思いイラっとするのだ。
ただ答えてほしいという会話のパターンで本当にイラっとするケースは、ただ質問しているだけなのに、「これが気に入らないのですかっ?」(だから質問しているんですよねっ?)という質問返しをされることらしい。
これは日本暮らしをしている海外からの移住者が多く経験し、最終的には日本文化として諦め、受け入れるようにしていると聞く。
日本人と仕事をしていて質問に答えてもらえないことが度々あると、「何か答えたくない理由でもあるのか?」とも思うらしい。
中には意図的に答えを避けている人もいるかもしれないが、私がここで強調したいのは、”まったく悪意のない善意から発生する先読みした親切な答え”について問題になり得るってことだ。
良かれと思ってやっているのに問題になってしまうとは、なんという悲劇だろうか。
ベースにある文化の違いによって不要な喧嘩を私はいったいどれだけ夫としてきたことか分からない。
夫のドストレートな説明により、私は親切心で真剣に質問に答えた挙句の果てにイラつかれるという度重なる実体験を元に理解するようになった。
夫と出会った頃の私の英語力は今と比べるとかなり低く、片言よりはマシだが頭に思う事をスラスラと言えるレベルではなかった。だからか幸運にも彼からの質問に対しての私の答えは限定的なものになり、質問の答えに対し比較的ストレートに限りある単語で答えていた。
時が経ち皮肉なことに今は自分が言いたいことを不自由なくペラペラ話せるのだが、話す中身が薄くなるのか「それで言いたいことはつまりなんだ?」とか、「回りくどいっ!」と夫に注意されるのだ。
せっかく英語がかなり上手になったはずなのに、上手になったがゆえに日本人と日本語で話しているのと同じ感覚で英語を話してしまうと何か歪みがでるらしい。
私には日本語の先回りして答える習慣がしっかりと染み付いていて気を抜くとソレを忘れてしまうのである。
こういう部分こそ日本国外で暮らさないと治らず、私の英語の癖になって支障がでてしまうのかもしれない。
日本では夫のようにドストレートに反応し、「”先読み”を止めてくれ!」とお願いしてくる人は少ないだろう。しかしアメリカで長く暮らしていれば私の先読みに対し、サラッと注意してくる人も現れるような気もする。
日本に長く住む海外からの居住者は、質問の答えをストレートにもらえないことを日本での生活で沢山経験し、それも日本文化の一部なんだと共通認識をしているようだ。だから日本国内でそのことに対し日本人にいちいち文句をいったりしないようだ。
しかし私の場合、アメリカでの生活時間もある。それゆえに夫からアメリカでそのように答えていると「はぁ?」と思われるだろうし、「こいつと付き合うのは面倒だ」と思われる可能性を危惧し、注意を受けるのである。
このような文化の違いによるコミュニケーションについて説明される言葉がある。
”ハイコンテクストカルチャー”と、”ローコンテクストカルチャー”だ。欧米は、”ローコンテクストカルチャー”に属し、日本は”ハイコンテクストカルチャー”に属しているらしい。
コミュニケーションを図るとき、言葉のみによる物事の認識の比重がそれらを分ける。日本は典型的な”ハイコンテクストカルチャー”で言葉よりも状況認識の含みが大きいらしい。
話している言葉の意味だけを考えるのではなく、どうして聞くのか?相手は何を見ているのか?その時の状況はどんなものか?などと状況を考えて答えているのだという。
しかし、このようなことは日本に住む日本人にはほぼ必要不可欠なスキルなんじゃないだろうか?コレができないと「空気を読めない」とか、「気が利かない」とか言われてしまう。
逆に日本国外にいたら、それほど「空気を読まなくてもいい」うえに、「気を使わなくてもいい」のだろう。
「結構英語が上達したはずなのにコミュニケーションがなぜかしっくりこない」なんて人がいたら、ぜひ「質問されたことに対し、答えれているか?」という点を考えてみるといい。
もしかしたら問題は英語ではなくて、”ハイテクストカルチャー”によるズレなだけかもしれない。
英語はド直球でのQ&Aで進めてみるのが良いらしい。Let’s try である。
英語のコミュニケーションでのポイント
- 相手の質問をよく聞き、聞き取れなければさらにゆっくり話してもらう
- 出だしの2語が特に重要なキーポイントになる可能性大
- 英語がペラペラである必要は全くない、的確な単語を幾つか伝えれば、それでも十分