高校卒業後、私はアルバイトでお金を貯め、90日間のアメリカホームステイプログラムに参加した。
90日ホームステイはあっという間に終わってしまい、私は予定通り日本に帰国をしたが、私はその時点で既に1年後には、またアメリカに行くと決めてさっそく仕事探しを始めたのである。
時には与えられた状況を受入れるもアリ
この時私が見つけた仕事は人生初の派遣社員であり、人生初の事務仕事だったのだが、これは自分で希望して得た仕事ではなかった。他人の都合でたまたま今のキャリアに繋がる事務仕事にありついたのだ。
そもそも事務職で誰かが私を採用するとは思えなかったから、応募さえ考えたこともなかったのだ。
しかし与えられたチャンスは掴むべきである。こうして私の事務職歴がスタートした。
自分に合う条件を絞って仕事を探す
私はいつも、「家から近くて時給が高め」を条件に仕事を探す。この条件で働けば、ちょっとやそっとの試練があっても、自分が仕事を続けるための対策としては有効なのである。
今のようにインターネットでアルバイトを探す方法なんて存在しなかったので、私は当時主流であったアルバイト情報誌リクルート社の「フロムエー」という雑誌を数百円でコンビニで購入し、仕事探した。
家に雑誌を持ち帰って、めぼしいアルバイト募集の広告に丸をつけながらページの端を折り、印をつけた募集元に順に電話をかけて仕事の面接を申し込むのだ。
昔はアルバイトや仕事探しは、こういう雑誌媒体で行うことが多かったから、採用側が広告を出した後に募集要項が変わっても情報の書換えなんて対応できず、面接に出向いたら仕事内容がちょっとちがっていたなんてことも良くあった。
時には急遽アルバイトが決まってしまって、冊子が発売された時にはアルバイト募集は既に終了しているなんてこともあったに違いない。
今はバイト募集もほぼほぼインターネットに移行し、情報修正なんてすぐに出来る。今どきのバイト探しでは募集内容が現実とかなり違っているという事はきっとあまりないかもしれない。
だから今は私のように応募した仕事と全然違う仕事をやることになったというケースは余りないかもしれないとも思う。
この時の私の仕事探しは、「どうせ1年なんだし!」と割り切っていた。それで、応募した仕事は「派遣社員としての日雇い工場勤務」だったのだ。
私の職探しの希望条件は「家から近く、時給が高い」だったから、はっきりいって職種なんてどうでもよかったのである。
だから履歴書をもって派遣事務所に行った時、紹介された仕事がアルバイト情報誌に書いてあった「工場での軽作業」ではなく、「中小企業商社での事務職」でも、時給と勤務地さえ問題なければOKだと、私はそこで仕事をすることにしたのである。
未経験でも派遣なら事務仕事を探し易い
私の頭の中は再び、アメリカに行くことが最優先で、一日も早くお金を稼ぎ始めることが、よっぽど職種よりも大事だったのだ。
それでもひとつ心配だったことと言えば、自分が事務職未経験だったことである。
そんな私の不安を他所に、人材会社の担当者は、「人手が必要で簡単な業務らしいから大丈夫だよ!」と軽い感じで気にもしていなかった。
こうして私の人生初の事務職の仕事は私の予想しない形でやってきた。しかし、この一年後の私には「事務職経験あり」と堂々と履歴書に書ける経歴が出来たのだから全く持って結果オーライなのである。
今になって当時の状況をよくよく考えてみると、その派遣会社は「誰でもいいから人を送っておけばいいや」程度にしか考えていなかったに違いない。
粗利が多い得意先から働き手を探してくれと言われ、優先的にその中小企業の仕事へスタッフを派遣しようとしたところ、丁度いいタイミングで私が現れただけの事だったのだろが、私にとっては棚からぼた餅であったことは間違いない。
日雇いの仕事を扱う派遣会社が、本気で新規で雇う働き手に高い期待するとは思えない。
派遣会社にしてみたら「君が毎日予定通り仕事行ってくれたら万々歳だ」くらいにしか思われていなかったのだろうが、世の中きっとその程度の期待値で動いているんだろう。
事務職経験ありという経歴の強み
この中小企業での事務職での仕事は、業務部という部署で、印刷機からプリントされる納品書や送り状等をひとつずつ専用のビニールに袋詰めをして伝票セットを作る軽作業がメインの仕事だった。
恐らく、内職という類の仕事になる。
頭を使わない仕事だったが、事務職という枠の仕事を得たことが私の後のキャリアの役立ったのだ。
この会社の内職のような仕事内容だけ見れば、工場での軽作業と何の変りもない。
しかし履歴書の職務経歴に書ける内容として、「工場での軽作業」と「事務職」とでは雲泥の差があり、ここで私は事務職経験者となることができたから、この後いくらでも事務職を探せたのである。
私はたまたまではあるが、「事務職」という仕事を与えてもらい幸運であったのだ。
未経験で働くなら何でも真剣に学ぶべし
派遣といえど、人生で初めての中小企業の事務職は、私には新鮮でとても楽しかった。
キリトリ線が入った連結用紙を切るのも楽しければ、伝票の袋詰めをひとつずつ手早く的確に短時間で作業を終えることもゲーム感覚で楽しめたのだ。この作業自体、学校でいう工作だと思えばよかった。
私は難しい勉強よりも工作が好きだったし、「好きな工作でお金が貰えるなんて一石二鳥じゃないか!」なんて思って仕事をしていたのである。
この派遣事務職で働いた期間は1年と数か月と比較的短かったからか、仕事が退屈だと思うこともなかった。
私はそもそも同じことの繰り返し作業にストレスや不満を感じないから、どんな仕事も向いているっちゃ向いている気もする。
当時、私の考える素敵な時給といえば、まだ自分の感覚が高校生基準(大体8~900円位)だったから、派遣の仕事で時給1200円貰えるということが大満足だったのだ。
周りの人が自分より給料を貰っているかなんて考えなかったが、「ペーペーの私の給料が一番下じゃなかったら世の中不公平じゃないか!」と思える年頃だったし、未経験者は身の程を考えつつ、スキルを伸ばす為に経験を積むしか道はない。
若さを武器に可愛げを持って働く
派遣の仕事を始めて数か月たった頃から、少しずつ他の仕事も教えて貰えるようになった。
一緒に働く社員さんとパートさんはみんな親切だっだし、当時私はまだ二十歳にもなってなかったから周りが手厚く私を可愛がってくれたように思う。
年が若いことはある種の武器である。無知であろうとも素直に学ぶ姿勢があれば周りにいる人は良く面倒を見てくれるから、真面目に仕事をして、しっかり甘えよう。
私は職場へ毎日自転車で通勤していたのだが、ある日そこの社員さんの一人が通勤が楽になるようにと、使わなくなったという原付バイクを私に譲ってくれた。
私の生まれて初めての原付試乗は数名の社員さんに見守られたなかで行われたのだが、勢い余って原付バイクの前輪が上がり、全員で青ざめたが、直ぐに皆で大笑いになった。
温かい人たちが多い職場だったし、そこで働けたことも私にとっては幸運だったと思う。
経験できることは何でも経験しよう
この仕事を辞める少し前に、ある社員さんが会社の端末と言われる機器の伝票フォームの登録設定操作を教えてくれた。
まだ現代のようなWindowsのPCがオフィスにはびこる前の時代である。
当時、会社にはイントラネットで構成されている端末といわれるコンピュータが沢山あった。
その端末で新規の伝票フォーム設定をし、それを記録する為にLPレコードみたいな直径30cm程ある大きなディスクに伝票フォームを登録する方法を教えてくれたのだ。
私はそれまでもアルバイトのレジなどの簡単な端末操作はしてきたが、この伝票発行システム端末の設定は複雑でかっこよく見えたのだ。
そして私は、「私はなにやら難しくカッコイイ事を習っている」と大満足したのである。おそらくこの経験がこの後に私がPCに興味を持つきっかけとなったのだろう。
この事務職の仕事をやっている間、「これやってみる?」って聞かれた仕事を私は全部やってみた。
こういう経験が少しずつ、毎日の生活のスキルとなり、知恵となり、この先の就職にも役立つのだ。
そして私はこの仕事を始めてから一年後、当初の目的通り旅行に出るためのお金を貯め、渡米する為に仕事を辞めた。
楽しい事をみつけるススメ
この仕事で私が楽しんだことの番外編としては、事務員の制服を着て仕事をしたことだ。
事務員の制服を着て、ストッキングと黒のパンプスを履いた。憧れの「オフィスレディ」スタイルの経験は19歳の私にとっては大人気分を味わえる経験だったのだ。
今もしも、新しい仕事先で制服を着ることを強要されたら、私は「制服を着るなんて面倒だ!」としか思えないだろう。
若さゆえに何でも楽しめた頃の私は、今よりずっと可愛げがあったに違いない。
新しい仕事をするときの心得
- 分からないことは「分からない」と伝える
- 教えてもらったら感謝を伝える
- 即戦力じゃなくても、与えられた仕事は一生懸命やる!
この3本柱があればどうにかなる。
10代の仕事未経験者でも、キャリアを積んだ40代中年でもこの姿勢が大事なのだ。
「聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥」なんて言うが、はっきり言って恥なんてどうでもいい!
キャリアを積む近道は、「可愛げをもって教えを乞う」が一番だ。
そして何か失敗してしまったら正直に謝まり、失敗から学ぼう。
「旅の恥は掻き捨て」なんて言うけれど、そんなのは勿体ない!人生という旅においての恥話は将来の笑い話で活用できるのだから、沢山持っておくにこしたことはない。
いつか誰かと一緒に自分のアホさを声に出して笑えるように、ネタは沢山あるに越したことはないのである。