数年前、まだ職場で以前の統合システムを使っていた頃の話である。以前の統合システムも完成度が低く、あちこちに制約がある状態で利用していた。
それでも、その統合システムを使い新しいビジネスを始めるのだと発表され、私はその新規ビジネスに併せてデータレポート一式をクライアントの為に準備しなければならなくなってしまった。
仕事で無理難題がやってきた
私の仕事はデータレポート全般であるから、会社でのデータに関することは有無を言わさず何でも私の元にやってくる。
ある日、新しいビジネスパートナーとなる客先からの様々なレポートの必要要件を渡され、データフォーマットからデータ送信形式までかなり細かい要件定義を依頼してきたものが、当たり前のように私の元へとやってきたのである。
会社で新ビジネスの開始が決定し、数か月後のオペレーション開始に向けて準備は始まったのだが、要求されたデータ一式を相手の要求する方法で準備するには与えられた時間は期間は極めて短く、統合システムに手を加える時間も到底足りないという窮地に陥った。
統合システムの準備が出来ていないなら、当然データ準備だって間に合わない状況になるから、担当者レベルの間では、こりゃ無理だと誰もが思っていたのだ。しかし、マネージメントはハードシステムが準備出来ないのなら、データ側でどうにか対応するのだと決定をしたのである。
出来ないがない欧米思考
データ担当者である私は、その新ビジネスに関わるデータ準備について、ただの肌感覚で出来ないと言うことはできないのである。何か意見を言うならば、意見の裏付けが必要になる。
仕事として任されている以上、私は、現状のシステムで具体的に何が出来て、何が出来ないかをハッキリ洗い出し、現実的な対応可能範囲を報告した。
この時私は、この結果を見れば、マネージメントは要件定義をしてきた客先にプッシュバックをして、要件定義項目を減らす交渉をしてくれると思っていたが、そんなことはピクリとも起きなかったのである。
私は社内の統合システムと、そこから得ることのできるデータについて仕組みを理解していたから、それまでは社内の必要を理解し上手くやってきていた。しかし、この新規ビジネスに必要とされる知識と技術は私が持っているものでは足りなかったのである。加えて心構えもである。
この時私は、新しいビジネスを取りに行く時、相手に「これは出来ないんですよね」とは言わないものなのだとアメリカ人上司より学ぶこととなった。
上司は、「契約を取り付けた後に出鼻をくじいてはいけない。出来ないものも出来るようにするのだ」と、客への要求プッシュバックなんて初めから論外だったのだ。
解決策を必ず見つけるアメリカンビジネスマンは、私を責めることなく「天才さん」を連れてきた。
天才の仕事は芸術的
この天才さんは、私の働く会社で長年勤めていた、会社の統合システムを全方位から良く知るプログラミングも出来る必殺仕事人なのである。
私はこの天才さんが、アメリカ本社での新規ビジネスが立ち上がる時にも、アメリカに呼ばれ数か月間の間ホテル暮らしをしながら仕事をやり遂げてきている様子も間近でみてきたが、正直なところいったい何をしている人なのかは良く分からなかった。
その天才さんは、私のまとめた出来る出来ないの資料を確認し、私を横に座らせて天才さんが知らないシステム部分の特徴を口頭で確認しながら、じゃかじゃかとプログラムを書き進め、あっという間にプログラムを書きまとめた。
そんな要領で、天才さんは追加で次々と出る客先からの要求に対応し、統合システム側の調整なんて殆どしないまま、複雑なプログラムを作り上げ、データ連携のサーバー設定まで含めてどんどん必要なものを一人で作りあげてしまったのである。
天才さんはマネージメントの期待通り、ビジネス開始時には、レポート周りの必要を丸ごと準備してしまったのである。
芸術品は凡人の手に余る
私はこの時、何も深く考えずに自分が殆ど苦労をせずに物事が解決したかのように思えてこの状況に喜んでしまった。私はその後に訪れる苦労をこれっぽっちも考えることもなかったのだ。
天才さんが作った芸術品は、私にとっては操縦不可能なレポートデータセットであり、それを全てそっくりそのまま私の手に委ねられるなんて想定外だったのである。
天才さんは、データサーバーの機能を使ったレポートデータ転送機能の立ち上げも含め、親会社が管理するITインフラ周りの担当関係者に指示をし、環境の準備も完結しまった。
統合システムに直接かかわるデータのことであれば私にも理解はできるが、天才さんはデータという単語が関わること全てに精通しているらしく、通常なら何人かの担当者がアサインされる仕事を一人でやりきってしまったのだ。
私はデータ転送とか、データサーバーの基礎設定の知識なんて経験上からもないし、理解することもできない。この手のことは別の人が担当するもののはずなのに、本来の責任所在も確認しないまま天才さんが進めたことはひとまず全部綺麗に私の元に流れてきたのである。
天才さんは何でも必要だと思ったことを自分でどんどん道を切り開いて進めてしまうのだ。ブルドーザーの如く道を切り開き、使命を果たすと、その後のことなどは考えずあっさり去ってしまうのだ。
天才さんは、「自分がやるべきことは終わった。何をやったかはプログラムをみればわかるから。」と言って次の任務に移ってしまったのである。
天才さんは留まらないものだし、庶民のリクエストでは動かないものだと、私はやっと理解することができた。
凡人の仕組みが安定を生む
通常、何か開発するときには簡易的でもいいので定義書を作るのだが、天才さんは定義書なんて作ってはくれなかった。「そんなのは他の開発者を捕まえてリプログラムからバースエンジニアリングすればいい」と一言のこして去ったのだ。
それに天才さんは意外にも親切でもあるのだ。「プログラムを読み取っていく時に分からなない部分は聞いてくれれば教えるから」と言ってくれるのである。
私の上司は、「天才さんは次の任務に移動するから、天才さんのやったものは全部引き受けてね」とアレもコレもまとめてやってきたかと思えば、データに関係するクライアント窓口までもが一緒にやってきたのである。
天才の作る道はケモノ道
仕事を一式受け継いだ始めはまだなんとかなった。それは、天才さんの作った仕組みがうまく機能していたからである。それは車のメカニズムを理解しなくてもエンジンを起動し車を運転できるのと同じだったのだ。
天才さんが作ったプログラムを走らせ、習った通り、ひとつずつ順を追って作業をする。誤らずに対応できれば、6時間作業すれば片付くのだ。ただ教わった通りに順序良く作業すれば毎週の必要は満たされていた。
しかし、何をどう計算しているという説明なんて殆どないまま引継いでしまったから、何かデータに異常値らしきものが発生すると、長時間かけて解析して問題を調整するという作業が山ほど待っていたのである。
実際、引継ぎ時に細かい説明なんてしていたら、何か月たっても引継ぎは完了しなかったかもしれないと思うと、結局文句のひとつも言えないのだ。
私は、何カ月もこの天才さんが作り出した魔物システムと格闘したが、結局中身を完全に理解できないまま、統合システムを新統合システムへと移行する日はやってきてしまった。
本当の悪夢はここから始まったのである。新統合システムには天才さんが作成したプログラムや仕組み一式が使えないというのである。
修正しやすい凡人用の仕組み
新統合システムには顧客の希望に沿ったデータが自然な形で取得できるようにすると言っていたはずなのに新統合システム完成が近づいてみれば、結局そんな風にはなっていなかった。
こうして再度、複雑なレポートデータ用のプログラムを作成し、無理やりにでもデータの生成を調整をせざるを得ない状態がやってきたが、天才さんは去った後なのだ。そうして結局自分で対応しなければいけない日がやってきてしまった。
通常システム移行をしても同じようなシステム構成にしている場合が多く、その場合はレポートプログラムの作成というのは相当簡単なのだが、新しい統合システムは前のものから仕組みを大きく変えてしまったために、レポートデータもデザインから全てやり直しである。
会社のマネージメントとクライアントは以前のシステムと同じデータを求めてくるから厄介なのだ。仕方がないので私も給料を貰う担当社員として、覚悟を決めて天才さんが作ったプログラムを紐解き、凡人版の仕組みを作ることにした。
私はなぜもっと早くに天才さんプログラムの解明をして現実的な形になかったのだろうと後悔した。
天才さんが作成したプログラムと同じ計算結果を作りだす為に、凡人計算式をコツコツ作る地道な作業を一人黙々と取り組むのである。天才さんプログラムが算出した結果一覧をプリントアウトして、探偵さながらペンを握りしめ、仕組みをノートに書き出してひたすら謎解きを何時間も続けたのだ。
結局の所、もっと前にこの作業を時間を掛けて取り組むことが出来ていたら、もうちょっと状況はましだったはずだ。この作業をしてみて、統合システム側の調整は何に対し優先的にするべきだったのかということが見えたのだ。
芸術品と言えるようなものは私には作ることは出来なかったが、出来るだけ物事はシンプルにまとめ、普通の人が普通に変更できるものを私は作った。
凡人はチームワークが命
理想形のものを作ることはできなかったが、私がこの作業をやり遂げられた理由は、まわりに優秀な仲間がいたからである。
旧・新統合システムを事細かにガイドしてくれた人がいて、私が作った雑な定義書をプログラミング担当者がまとめてくれた。データーサーバーの設定からデータ転送の仕組みまでもをそのプログラミング担当者が代わりにやってくれたのだ。
こうして何人もの仲間に助けられ、私はレポートデータのデザインに集中し、それを正確にまとめることに集中することができたのである。
信頼できる仲間を作り、正規の方法でやれば作業が分散され、知識の共有化も出来て、文書化もされるのだ。天才ひとりがまとめて対応するよりも手間はかかるが、破綻しづらい仕組みづくりというのはこうやって出来るのだろう。
私はこの先、できるならば天才さんと働くのは遠慮させて頂きたいと思っている。一緒に仕事をするならば、協力しながら励まし合って助け合える仲間のほうがよっぽどいい。そして仕事である限り、何よりも替えの利く仲間が欲しいのである。
会社にとっては窮地を救う天才さんはいた方がいいのだろう。しかし天才さんが魔法で作った魔物を操れる人なんてそうそういないのである。そうなると結局、皆で先延ばしした分のツケを痛い目見ながら苦労して払うことになるのだ。
天才さんの活躍話を聞くのは楽しく面白い。そして天才さんに罪ない。しかし、天才さんには自分とは違うフィールドで活躍して欲しいと思うのである。