大きな外資系会社で働いていれば、必ずといっていいほど存在する、年間個人目標設定とレビュー。長年、この年間個人目標設定を、私は真面目にやってきたが、ここ数年でこの考えはコロッと変わった。
年間個人の目標設定
近頃やっと、私は企業の年間個人の目標設定は「絵に描いた餅である」ということに気づいてしまった。
この目標設定は、会社側や上司が各社員に対して設定したものであれば、もう少しマシな役割をするようになるのだと思う。しかし、この目標設定は各社員が自発的に書くことを要求しているのである。
目標を作成する段階で、具体的に何をしたら目標が達成なのかというマイルストーンとなるステップを書き出し、一年を通し自分がその目標に対しての進捗度を示すリストも併せて作る。
会社のカレンダーに合わせ年度初めに目標を作成し、4半期が終わる毎にレビューを繰り返し、最終的には年度末までに目標を達成することを目指すのだ。
年度末が近づ上司と総合的なレビューを行い、そのレビュー後に会社のマネージメントが集まり各社員の総合評価をつけるプロセスに使うのだというが、それはあくまでも表向きの形式である。
目標設定の不都合な真実
この年度末のマネージメントが集まり行う総合評価で平均よりもいい評価をもらうのは相当難しい。
それは全社の中でその評価が貰える人数に制限があり、殆どの人はどれだけ頑張って素敵な目標設定をしても、その目標に向かって仕事をやり遂げても、結局は標準的な評価しかもらえないのである。
それを知ってしまうと、自分が真剣に時間をかけて真面目に目標を立て、それを達成したところでなんの意味があるのだろうかと思うのだ。
このマネージメント陣が集まって、「この人の評価は他の人よりも優れている」と判断されるケースは会社の利益に直接つながる大型の契約を纏めた場合などが多い。会社が社外に向けて発表したプロジェクトに携わった場合なども対象になる。
加えて、その担当者出会った人のマネージャーがどれだけ部下の功績を押せるかにもかかっているのである。
結局の所、マネージメントには見えていない縁の下の力持ち的な仕事を持つ者が、目標をしっかり立て、それを達成しても自分のマネージャーがそれを売り込んでくれなければ、まるで最終評価に響かず終わるのである。
こんな評価システムなのだから手を抜いて、適当に目標作成をすればいいのである。長年働いているなら、1年おきに以前の目標を手直しし、古い目標を繰り返し使っても誰も気づかない可能性だって高い。
個人の目標設定なんてそんなもんだと諦めて、日常の仕事にしっかり取り組む方がよっぽど意味があると思うのだ。
昇進の都合で判断される評価
私は過去、かなり真剣に目標作成に取り組み、実務を通して結果に繋げたことはある。上司にも恵まれ、私の功績をマネージメントの集まりで訴え、年度末には標準よりもよい評価を貰い昇進もした。
私はそれで更にやる気を出し、その翌年は前年以上に努力して結果も出したのだが、その年に貰った評価は「並み」だったのである。正直言って私にはこの結果をまったく納得することはできなかった。
上司からの説明はこうである。「君は昨年度、結果を残して昇進した。君が去年よりも努力し、成果を上げたのは分かっている。しかし、去年昇進し期待値のハードルは上がったので、会社に大口の契約を取ってきたというような結果じゃなければ、今年は良い評価は与えられない」と。
私はちょっとした詐欺にあった気持ちになった。「私のこの1年の頑張りはいったい何だったのか」と。もし私がそんな事情を知っていたら、この一年は普通にしか仕事をしなかっただろう。それで、1年置いて再度努力をして成果を上げていたかもしれない。
この説明を上司からの受けて私はこの目標設定の仕組みに完全に失望し、目標を立ててレビューをし、評価してもらううことについて、どうでもいい事になってしまった。
適当な目標設定でも問題ない
私は、日々の与えられている仕事をやり遂げ、真面目に仕事をすることは継続するが、個人目標作成とレビューは締切日にやっつけで終わらせ、やったことの事後報告で済ませることにした。
上司との目標設定の内容確認や、レビューが設定されてからやっつけで目標設定をし、中間レビューを同時に書くようになった。長年やっているお陰で目標設定に選定するべきことは頭に浮かぶ。
この手の目標設定は、自分がやっている仕事とリンクさせればいいのである。私が、その年に達成しなければ仕事やプロジェクトをそのまま目標に持ってきて、大きなマイルストーンをいくつかおけばいいのである。
マメで真摯な上司を持つと、この目標設定にあれこれと指導をしてくる人もいるが、そういう場合でもとりあえず仕事にリンクする形で目標を設定しておけば、上司があれこれと指導してくる内容をそのまま目標に反映すればいい。
つまり、その場合は上司が自分の目標をあらかた仕上げてくれるので、そのまま流されればいいのである。
最終的な社員の評価に、この目標設定がもたらす結果は少ない。結局は、会社の望む実績に貢献した人が良い評価を貰うことになるのだ。
理不尽な都合で与えられる評価
私が個人目標設定を手抜きして数年経った頃、共に働く同僚が昇進をした。その同僚は翌年、前年度よりも努力をして素晴らしい仕事をしていたのだ。しかし、その同僚の功績は、私が経験したのと同じように、前年に昇進したことを理由に良い評価は与えられなかった。
その年、私は実はそれほど必死に仕事をしていなかったのだが、マネージメントが欲しいといったシステムを作ったことを理由に良い評価が与えらたのである。これは私が会社に対し、不信感を持つことなり、会社の評価システムは茶番だと確信することとなった。
私は同僚の方が何倍も努力し、オペレーションを円滑にし、結果を出していたことを知っていた。私がやったのはマネージメントが要求したそれほど使われない社内のWEBダッシュボードを立ち上げただけだったのだ。
WEBダッシュボードがオペレーションに役立つこともあるかもしれないが、別になくてもいいくらいのもので、それほど汎用性のないものだったのだ。私はマネージメントの要望に応えただけで平均より良い評価が与えられた。
こうして私は、会社内で行っている総合的な評価システム、年間個人目標設定には失望したのである。
今の私は目標設定を完全なやっつけ仕事にして、可能な限り後回しにしている。たまたま昨年末は仕事がものすごく忙しかった。結果、私は目標作成もレビューもせずに年末を迎えたのである。
だから私はこのまま年間目標設定はやらずに、ズルズルと行けるところまで行ってやろうと思っている。やらなきゃいけない日がきたら、1~2時間使って、対応した仕事をそのまま目標と結果にして、マイルストーンを書き、総合的な自己レビューまで一括記入をするのである。
この企業の目標設定は、社員の成長に役立てている訳ではなく、会社のマネージメント陣がマネージメントをしっかりやっていると実感するためのツールなのだろう。