会社員の良い所は、すべてをひとりで抱える必要がない所である。そして、会社が破綻してたとしても、自分が破綻するわけではないところである。
そんな時でも、スキルさえしっかり身に着けておけば、新しい働き口を見つければすむことだ。
会社員としての働き方
会社員としての一番の利点は、安定して給料が毎月毎月支払われ、お金を得ることができることだろう。会社員は毎日、毎月、決められた時間分、会社が要求することを働きとして提供することを約束し、そのお金を得ているのである。
正直な所、会社が儲かっていようが、経営難であろうが殆どの会社員はそんなことは殆ど気にせず、毎日の暮らしを送っているだろう。この手の心配をせずに暮らせるから会社員は魅力的である。
会社員の労働時間
現代社会での会社員は1日8時間の労働をするようにデザインされている。平均して、毎日その8時間以内に終わらないような仕事をしているなら、適切な量以上の仕事をしてしまっているか、サボりすぎているのではないだろうか。
私はこの前者であり、この数か月の間、私自身の1日の労働時間は平均10時間を超えてしまう。毎月、やらなければいけない事と、人事の言う残業時間上限のやりくりに困っている。
私は、あれもこれもと、手広く仕事をしすぎてしまった。断ろうと思えば断れたのに自分で自分の仕事の範囲を広げすぎてしまったうえに誰も育ててこなかったのである。私の考えが甘かった結果ということである。
個人的には、自分がすごく成長をしたい時期であれば毎日10時間を超えて働き、周りを出し抜いて仕事をすることに何の問題もないと思うが、そういうフェーズを既に抜けているのにも関わらず毎日12時間仕事しても先が見えないような働き方は止めたほうが良い。
ただの一会社員が背負う以上の苦労をしても、評価はされてもそれほど得することなど殆どないのだ。今回のブログは私の反省文であり、失敗談である。
どのように働き方を誤ったか
私は専門職データアナリストとして働き、今の職場では既に7年を超えて勤務している。7年の間に昇格もしたし部下も出来た。そして責任を負う範囲も広くなった。
色々と失敗もあったが、現時点での最大の失敗は「自分の仕事量を毎年増やし続けたこと」だろう。別にここまで頑張らなくても昇進は出来ていたのだ。
チームメイトの退職だったり、新しく追加された業務が発生した時に拒否せず、私は一時的という条件も付けずにホイホイと仕事を受け、他の仕事を手放すこともせず仕事を引き受け続けたのだ。
私は良い社員の務めが何であるかを勘違いをし、努力を続け、残業や休日出勤をしながら無理しながら頑張って仕事を回してしまったのである。
賢く考えることができていれば、一時的に引き受けた仕事は誰かに教えるべきだったのだと思う。
人を育てる大切さ
誰かを育てるべきだったし、誰かを育てようと上司に相談すれば、却下されることなく受け入れられ、むしろ評価されたと思うのだ。
しかし、私は馬鹿みたいに頑張り、誰かに仕事を協力してしてもらうこともなく、一人で抱えて長時間労働をした。そして「完全に属人化された仕事の山」を作り出してしまった。
冷静に振り返れば、私がひとりで仕事を抱える状況を会社側も上司も私に強制はしてこなかったので、やはりこうなったのは私の責任であると言えるだろう。
私が真剣に、「サポートメンバーを増やしてくれ」と頼むか、「この人に仕事を協力してもらいたいので許可をくれ」と現状を説明し、しつこくお願いすればよかったのだろう。そしてそれが私の責務だったのだと今になって考えることがやっとできた。
問題は私自身が作り出してしまっていたのである。まさに、身から出た錆である。私は、自分の仕事量の管理を怠り、人を育てる事をしないまま状況を悪化させてしまったのだ。
働き方改善は問題提起を続ける
上司が気にするのは、私に任せた仕事が期限内に終わるかどうかで、「私がどれほどの努力を続けて何とか回しているかということ」は、私が報告しなければ分からないのだということに長いこと気づかなかったのだ。
今になってやっと問題があれば、私が「必要なだけ声高くはっきりと伝える必要」があったと気付いたのである。
世の中にはブラック企業といわれる会社も存在し、いじめのように無理難題を押し付けて長時間労働を強要するところもあるだろう。なかにはタフな職業で自ら経験を積むために、プロジェクトのために長時間労働する人もいるだろう。
しかし、私の場合は別にそういう強制的な働き方は別にする必要がなかったのだから、終わらない仕事を抱えてしまった状態になったのは自分で蒔いた種なのだ。
担当者としての責務
はじめから任務として存在する仕事だけをきっちりこなせば、それだけでも良い評価をもらい続けることは可能である。
しかし、私は自ら仕事を片付けるのを楽しみ、自分は仕事が出来ると錯覚し、その気分に酔ってホイホイと次々仕事を引き受け、それらを自分の仕事として吸収し、泥沼にはまったのだ。
会社は私に一時的な仕事を依頼する必要がある。だが、その先どうするかは私次第となることが多い。
恒久的にどうするかを考えるのは、実は会社や上司の仕事でなく、自分の仕事だったのだと思う。私はその仕事を誰かに振るという部分まで含め、私に責任が発生することを全く考えられなかったのだ。
マネージャーというタイトルを貰っていたのにもかかわらず、そのことにずっと気づかなかったのだ。
普通に、のほほんと会社員をしていると、全てを会社や上司のせいにしたくなる。しかし、本当は私自身がその環境を作り出し、「自分の責任を理解していない」だけだったのかもしれないと思うのだ。
スタッフが足りない状況であれば会社に、上司に時間を掛けてでも人を与えて貰う必要がある。私に与えられている責任とは、しつこいまでに定期的に状況報告をし、「増員が必要だ」と言い続けることである。
自分の残業時間や休日出勤時間の履歴、抱えている仕事リストを見せ、何度も増員の要求をするということをしなければいけなかったのだろう。
それが1か月だろうが、3か月だろうが諦めずに言い続ける。それでも増員されない場合でも、諦めずに言い続けないといけなかったのだ。
「誰も良い人が来る様子はないし、仕方ないから全部自分でやらなくては」と思うのは大間違いだったとのだと私は今、大いに反省している。
会社責任による人不足
3か月以上に渡り上司や会社に「増員」か、「仕事の軽減」言い続けても何の改善がされないようなら、会社に問題があるということもある。そんな時には新しい職場を探してもいいだろう。
会社のために「自分の人生を犠牲にする必要はない」のだから、もっとよい条件で働ける環境を探した方が身のためということもある。
システムアップグレードの負荷
私自身がひとりで色々な仕事を抱え過ぎたことが問題だと気付いたのにはきっかけがあった。
それは会社のシステムアップグレードだった。新しいシステムに乗り換えるプロジェクトが本格的に走り出し、ようやく自分の抱える範囲が「1人で対応しきれない量である」ことに気づき、私もやっと目が覚めたのだ。
システムアップグレードがあるのは知っていたが、本格的に開始するのはもっとずっと先の事だろうと思ってしまっていた。この開始までの間にヘッドカウントの増員を依頼し、人を教育することを怠ったままその時が来てしまった。
プロジェクトがスタートし、どうにも手が足りない状況となって助っ人が補充されたとしても、彼らには目の前のシステムアップグレードプロジェクトで臨機応変に対応することは難しい。
現行システムを殆ど知らない人が、新システムを立ち上げるために、現行システムと同じように新システムが動くかテストをやりきるのは無理がある。中途半端な知識でテストをしても新システムの問題を見抜くことはできず、問題が多く残るリスクもあるのだ。
結局、私は人を増やさずに、それまでやってきた日々の仕事に加え、通常業務時間外労働を増やしてシステムアップグレードを進めることにした。
新しいメンバーのトレーニングに加え、フォローアップをしながら通常業務を行い、加えてシステムアップグレードをやり切ることはどう考えても、自分にはできないと諦めたのである。増員をするタイミングを私は完全に誤ってしまったのだ。
この状況になり、初めて自分が気軽に色々な仕事を受け続けてきたこと、残業しながら仕事を完了してきたことを大後悔したのである。これが私の今の仕事で犯した一番の失敗だったと断言してもいい。
人に依存しない仕事
何か新しい仕事を受ける前には、それ以前に請け負った仕事(特に一時預かりの仕事)を、他の人に移管するとか、トレーニングをして共有者を育てるということが必要だろう。それが出来ない間は、新しい仕事を請け負うことはリスクでしかない。
ひとつひとつの仕事が人に依存しない仕組みづくりがベストである。目指すべきは、皮肉だが、「代わりはいくらでも居る」という状況にするのがベストな仕事のやり方だと思うのだ。
自分がその環境を作り出して職を失ったら、それは失敗ではなく、その人のキャリアの大成功の結果である。そんな仕事のやり方が出来る人なら、どこに行っても成功しないわけがないのだ。
「代わりはいくらでも居るという状況を作れる人こそ、偉業を成し遂げているのだろう。