私も中年になり、両親も高齢になった。父親は長年の不摂生が祟って糖尿病になり、人工透析患者になって既に20年近く経つ。それだけの不摂生をするだけあって、自分勝手で難しい性格の父親なだけに、猛烈父ちゃん大会などというものがあったら、結構いい線行く気がする。
要介護5になった父親
昨年、父親は胃カメラによる簡単な手術をする為に数日入院し、入院初日に転んでしまった為に院内での歩行を禁止され、退院する時には歩けなくなり突如車イス生活が開始した。
入院時点での父親の足取りは、既にかなり怪しく、自宅内の歩行と、支えがあれば建物から駐車場間の歩行しか出来なかったのだから、数日歩かなければ歩けなくなってしまうのは当然だったのかもしれない。
現実問題、高齢者の身体機能の回復っていうのは難しい。父親の車イスの生活が1年経つ頃には、認知症もはっきり現れ、更に身体能力は低下し、父親は要介護5と最高レベルに達した。
我が家の場合は、父親の車イス生活が始まってからも両親2人での生活を続けていた。母親が頑張り一人で父親の介護をしてくれていたが、さすがに体力ある母親でも状況が悪化し、要介護5の父親の面倒を見るのは誰の目から見ても限界だったと思うのだ。
要介護4への飛び級
歩けているうちは父親の要介護2だったが、数日の入院で完全に歩けなくなってしまい、要介護4へと飛び級した。自力での歩行が出来なくなると要介護4になるのだろう。
父親が車イス生活を開始した頃は不慣れなことが多く、母親の協力があっても車イスとベッドの移動さえ苦労したが、慣れてくると、調子のいい日には父親一人でベッドから車イス移動が出来るようになった。しかし、一人で立ち上がることは結局、一度も出来ないまま悪化してしまった。
高齢者が一度、歩行機能を失ってしまうと回復することは相当難しいのだろう。しかし、丸2~3日全く歩かないだけで歩行機能を失うかもしれないと考えると、結構恐ろしいことだと思う。
歩けなくなってしまうということは、1人でトイレに行くことも、お風呂に入ることもできなくなるということだ。自動昇降機能付きのベッドを使っても父親一人でベッド横に腰を掛ける体勢を取ることさえ、よほど調子の良い日しか出来なかったから、要介護4だと一人暮らしは到底不可能になるだろう。
要介護5への切替
要介護認定を受けると、地域のケアマネージャーという役割の人と契約をする。個人負担の費用は発生しないが契約したケアマネージャーが1か月に一度訪問して必要を確認をしてくれる。
このケアマネージャーが要介護認定を受けている人の状況に変更があったと判断すると、行政の介護判定職員がやってきて、介護認定レベルの見直しを随時行うこととなる。そうして私の父親は要介護4となり、1年を待たずして要介護5となったのである。
要介護5になった時点の父親は、ご飯を食べる時に自分で箸を持つことはおろか、スプーンを持って食べることが難しくなり、父親は母親にご飯を食べさせて貰うことが常になっていた。
父親は、調子の悪い日には一日中寝ているということも増え、そういう生活が続くと今度はあきらかな認知症言動が数多く確認され始めた。介護する側の母親にとっては、肉体的にも精神的にも相当辛い状況になってしまったのである。
アメリカに住む私は殆どサポート出来ないから、私は父親が車イス生活を開始した頃から父親には特養の施設に入居してもらう選択肢を考えていたが、父親の場合そう簡単な話ではなかったのだ。
まぁ父親は施設暮らしを受け入れなかったと思うし、母親も自宅で面倒が見れる内は自宅で面倒みるということだったが、私の両親の住むエリアには人工透析が可能な特養施設なんてものは存在しなかったのである。
要介護5の透析患者
立つことも歩くことも出来ない、そして食事すら自分一人でまともに食べることが出来なくなった父親の介護を母親が一人で自宅で世話するのは現実的に言って、相当な負担になった。
私の両親の状況を難しくさせていたのは父親の週3日の人工透析で、通院が一番の悩みの種だった。
週3回x4時間の人工透析
父親は20年近く、4時間の人工透析を週に3回、年末年始も休むことなく受け続けているのである。車イスになろうが何だろうが生きている限り、この人工透析を止めるという選択肢は基本的に存在しない。
父親は何度か、「もう人工透析を止めるんだっ」と周りを振り回したが、結局一度も休まず続けている。透析医院の医師は、「相当な決意を固めて透析を止めると言った患者も存在したが、毒素によって尋常じゃない痛みに襲われ、透析を再開することになった人もいる。」と言っていた。
しかし、認知症による影響なのか父親の性格の問題なのか、自宅でも透析医院でも気分を害せば、怒鳴ってグチグチ言う父親は何度か透析病院から患者としてクビにもなりかけた。自分で止めるどころか、ウチではもう対応できないかもとも言われていたのだ。
そんななか父親は、4時間の透析中に動いてしまって血の海を作ってしまうということもあったりして、母親が父親の人工透析の付添までもやることになったのだ。
こうして父親の心身機能の衰えは悪化の一途をたどり、母親自身も消耗してもう無理という所まで進んだのである。
人工透析が出来る特養がない
母親も「もう面倒を一人で見るのは実際難しい。」という事態になり、私たち家族は人工透析の可能な特養を探し始めた。担当のケアマネージャーに相談すると、両親の住む地域で人工透析患者が入れる特養はないというのである。
父親のような要介護5の人工透析患者は特養に入れないだろうから、最後の手段として、「病院に入院して3か月毎に2つの病院で入退院を繰り返すことになると思う。」という話だった。
とはいえ、簡単に入院したいといいって病院が見つかるわけはない。仕方なく、私達家族は特養を含め、人工透析が可能で、自立も歩行も出来ない認知症問題を抱えた患者が入居できる施設の情報を集め始めることにしたのである。
入院生活の始まり
情報収集を開始をして間もなく、父親が体に力が入らず、ベッドから車イスに移動することができないという日がやってきた。それで、透析医院から前年度に入院生活を送った病院で診察をしてきてくれと言われ病院に行くと、父親の入院が決まったのである。
透析医院としては正直な話、父親の身体の問題に対する心配から大きな病院行きを進めたのではなく、実のところは厄介払いだったのである。この頃には、認知症の影響もあっただろうが透析医院での度を越した我がままにより、父親は超面倒な患者だったのだ。
病院の医師によれば、父親は敗血症性ショックによる身体機能の問題が発生していると言って父親の入院を勧めてくれた。そして、退院時期の見通しについては特に触れることなく、父親の入院生活が開始したのである。
こうして我が家の抱えていた自立も歩行も出来ない認知症を抱えた人工透析患者である父親の入居施設探し問題は、入院という形でひとまず落ち着いたのである。
実の所、父親の敗血症の症状は前年度の入院時点で発症済みであったのだ。今回父親の症状は確実に悪化がしていたことは間違いないが、入院が必要なレベルに達していたのかは正直なところは分からない。
しかし、この時点での通いの透析をしながら自宅で父親の介護をするのは相当困難であったことは誰の目にも明らかだったから先生が父親を入院させてくれたような気もするのである。
認知症による問題行動
父親は車イス生活が始まり、ベッドで寝る時間が増してから明らかに認知症が進行した。そして、それがすべてを難しくさせていたのは間違いない。
週3回通う透析医院では送迎の人、事務員さん、看護師さん、そして先生に対しても父親は、「あーでもない、こーでもない」と文句を言うのは当たり前、声を荒げることも珍しくなかったのである。
父親は、医療機関で働く全員がスパイで、みんな暗号を話して自分の悪口を言うのだと真剣に言い、医療を通し攻撃してくるのだと訴えるのだ。自宅でも盗聴器を付けられ、スパイに見張られているからと家族に理解できないリクエストをしていた。
母親には透析医院に朝5時頃電話をしてくれだとか、今日は朝6時に来るようにいわれていたとか、父親は真剣にありもしないことを言うのである。医療サービスを受けている者が認知症になると、これまた厄介だなと家族で相当頭を悩ますことになった。
父親は自立も歩行も出来ず、手はスプーンを持つ動作などには問題があっても、腕の力は相当あったから癇癪を起せば家の電話機を投げ飛ばすくらいは出来たのである。怒鳴り散らし、物を投げつけることも出来るので正直、精神科のある病院を探さなくてはいけないかとも悩んだりした。
自立も歩行も出来ない認知症問題を抱えた人工透析患者を抱えた家族は、その患者が入居できる施設を探すことに苦労をするだろう。我が家は運よく入院できたので、ひとまず施設探しは保留となったのである。
超高齢化社会に備えて
日本は医療サービスの向上によって寿命が延びたのではないだろうか。父親が人工透析を始めると言った時、家族は父親の余命の心配をしたものだが、父親は既に人工透析を20年近くやっている。父親の体がもともと強いという要素もあるのだろうが、現代の医療の恩恵は大きいだろう。
高齢者施設運営の提案
私達家族が施設を探す時、父が入れる施設を見つけても、父は扱いが難しい人だから出て行ってくださいと言われてしまうのではないかということを心配しなければいけなかった。きっと同じように考える家族も相当数存在するだろう。
実際、高齢者施設で働くのは相当大変だと思う。高齢者になるとこだわりが強くなり、感情のコントロールできない人が増えるように感じる。体の自由が利かなくなり、イライラしてしまって周りの人に当たってしまうのだろう。
そういう高齢者の面倒を見るのは仕事としても辛い仕事だと思うのだ。道路工事の仕事や、工場での仕事、事務職などでは体験しないような、精神的ストレスに加え、肉体的暴力を受ける事もある。下の世話などだって相当な負担だ。
だから私はこのような誰もやりたがらない仕事は、月額の給料を据え置きで労働時間は今までの半分強というような制度を作り、給料補填は税金で蒔か合うような仕組みを作って職員の増加を計り、負担を軽減するような仕組みを作ったらどうかと思うのだ。
改めて父親がこういう状況になり、今後の日本では同じような問題を抱える高齢者の人口が増えるだろうと感じた。だから、日本の政治家には高齢者に対するサポートネットワークについての政策も声高らかにうたって欲しい。