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旅先で出会ったキリストにある兄弟姉妹

異文化暮らし

西オーストラリアでのカーキャンピング旅行中に素敵な友人が出来た。

彼らはパースに住み隠居生活を送るカップルなのだが、私たち夫妻が日本に帰国する直前にパースで宿難民になった時、快く私達を一晩彼らの家に迎えてくれたのである。

彼らとの出会いはバッセルトン(Busselton)という町にあるキャンプ場であった。

バッセルトンはパースから南へ向かって2時間半程度で訪問できるビーチタウンだ。老後にこの町に移り住む人も多いらしいが、パースから多くの人が気軽に訪れる町らしく、この町で多くのパース在住者と出会った。

バッセルトンの町にもかなりの数のキャンピングカー宿泊施設のキャラバンパークがあり、私たちはそのうちのひとつである通常の有料キャラバンパークに滞在した。

そしてそこに滞在している他のキャンピングカーで旅する人達に出会い、バッセルトンの海沿いにクリスチャン団体が運営するキャンプ場が立ち並ぶ区域があるのだと聞いて、私と夫はそのキャラバンパークへ移動することにした。

私達夫妻は聖書を学び、日曜日は教会に通うクリスチャンである。なのでこのクリスチャンの運営するキャンプ場の話を聞いて是非そこにも滞在してみようという話になったのだ。

バッセルトンに滞在している間、夫は日中に仕事の予定が入ってしまい暫くコーヒーショップへ通うことになった。ということで1週間程バッセルトンで足止めを食らったので丁度長居する為のキャンプ場を探そうとしていたのだ。

調べてみるとバッセルトンには”ホーリーマイル”(Holy Mile)と言われる海岸沿いのエリアがあり、いくつかのクリスチャン団体がキャンプ場を運営している。このエリアは昔地主だった人が亡くなる時にいくつかのクリスチャン団体へ土地を使って欲しいという計らいがあり現在に至るのだそうだ。

このクリスチャンの団体が運営するキャンプ場の中には、子供たちのキャンプ場としてのみ使われている場所もあるようだが、誰でも利用できるキャンプ場&キャラバンパーク運営をしている所もあり、私たち夫妻はそのうちのひとつに滞在したのだ。

さっそくこのキャンプ場に電話をすると、ちょうど1台分のキャラバンパークスペースが開いているという。「必ず行くからね!」と名前と電話番号を伝えてチェックインが可能になる午後の時間にこのキャンプ場を訪れた。

このキャンプ場の料金は一般的な有料キャラバンパークよりも千円ほど安い値段設定だが、シャワーもトイレも十分に綺麗に清掃されている不自由のない安いキャラバンパークという感じである。いかにもキャンプ場というような共有の冷蔵庫や電子レンジも、洗濯機もある。

そして駐車場から奥に進むと素晴らしく美しい遠浅のアクアブルーの海が広がっているのだ。

そしてこのキャラバンパークで私たちが利用したカーキャンプスポットのお隣さんがパースで私達夫妻を泊めてくれたカップルなのである。

オーストラリアに住む多くの人はカーキャンプを楽しむ人が多いらしく、このカップルもキャラバンを所有し毎年カーキャンプ旅行に行くのだと言っていた。彼らのキャラバンは本格的な大きめの四駆車でキャンピングカーを牽引し旅をしていた。

キャラバンパークではお隣さんと世間話を楽しむのもカーキャンプの醍醐味である。このカップルは本当に素敵な人達で、朝起きると私達に「紅茶でもいれるから一緒にどう?」と声を掛けてくれたのである。

彼らのキャンピングカーにはダブルベッド、簡易キッチン、シャワールームにトイレまで揃っていた。私がそのようなキャンピングカーの中は見たことがないと言ったら、親切にキャンピングカーの中まで全部見せてくれたのだ。それは東京の狭いワンルーム以上に充実した空間だった。

その簡易キッチンにはオーブンも付いていて、それで焼いた手作りのクッキーを紅茶と一緒に私達に出してくれた。家についているオーブン程の火力はないらしいがそれでもクッキーが焼けるのだから十分である。

私たち夫妻の出身地や生い立ち、そしてオーストラリアを旅する経緯や、バッセルトンに滞在することになった話をし、私たちがクリスチャンである話もしたのだが、なんとそのカップルもクリスチャンで旦那さん今は引退済みだが牧師をやっていたというのである。

クリスチャンといっても宗派や考え方に違いがある場合も沢山あるが、奇遇にも同じような考え方をするカップルで話しが進むにつれて私達の距離はぐっと縮まり、話は大いに盛り上がった。

クリスチャンであることは何か特別な訳ではない。

クリスチャンとは、自分の力ではどうにもできない弱さが自分にあることを認めて、悔い改めて救い主イエスキリストに頼り、神様を信じて頼りつつ人生を歩むと決めた者たちである。

これが基礎となる同じ考え方を持ち、聖書を学び、毎週教会に通っているクリスチャン同士だと、分かり合えることが多く、必然的に仲良くなることが多いのだ。

このカップルと出会いお茶ををした日は私達のキャンプ場チェックアウト日で、夫は日中コーヒーショップで仕事をして夕方から次の町へ移動する予定だった。

それをそのカップルに話すと、私にコーヒーショップでつまらない時間を過ごすより夕方まで海を楽しんだりキャンプ場でリラックスした時間を過ごすほうがいい。その間は彼らのスペースに滞在していいよと言ってくれたのである。

私はカップルの言葉に甘え、キャンプ場で本を読んだり、洗濯をしたり、海で泳いだりと、とてものんびり好きに時間を過ごした。このカップルと四六時中一緒に過ごしたわけではなくそれぞれに好きに時間を過ごし、時に共に海へ出て泳ぎ、同じ時間に一緒にお昼を食べて午後を迎えた。

午後になって私はのんびり散歩をして過ごしていたのだが、このカップルは午後になるとキャンプ場の管理者の知り合いらしく管理事務所の改装を手伝い始めた。

特に用事もなかったので私が「お手伝いするよ」と働く彼らに声を掛けたら、二つ返事で「じゃーその散らばったごみを片付けて欲しい」と早速仕事が与えられたのである。

あっという間にお手伝いを初めて数時間たち一段落した所で、夕方皆でお茶を飲んでいると夫が仕事を終えて私を迎えに来てくれて、カップルとの楽しい時間は終了した。

このカップルと別れる時、「この先の道中、何か困ったことがあったら必ず連絡するんだよ!」と言われたのだが、まさか本当にこのカップルに助けを求める時が来るなんて考えてはいなかった。

私達夫妻がカーキャンピングの旅を終え、パースに戻ったのは帰国の数日前だったが、オーストラリアはたまたま祭日のある3連休の週末を迎えていた。私たちはそのことに気付かず、ホテルの予約を事前にしないままパースに戻ったら、なんとパース周辺のホテルはどこも満室で宿がないのだ。

私達は過去にも一度シカゴで同じ過ちを犯していたが、なんとパースでも同じ目に遭ってしまった。パースも連休や旅行シーズンの週末ホテルは満室で売り切れになってしまうらしい。ふらっとパースに旅行するときには大型連休には特に気をつけないと宿なしになるかもしれない。

パースから2時間ほど運転して郊外の町に出れば宿が見つかるのだが、折角パースに戻ってきたのだからパースに滞在したいと思って、ここでキャンプで出会ったカップルにその週末でもパースで泊まれる宿泊施設を知っているか連絡したのである。

すると、そのカップルは丁度カーキャンプの旅から戻ったところだから、自分たちの家に泊まりにおいでよ!と私達夫妻を招いてくれたのである。

このカップルと再度パースで共に過ごした時間は実に楽しい時間だった。彼らの家族にも会えたし、キャンプ地での時間では話しきれなかった話もできた。共に食事をし、教会の礼拝に行き、お茶を飲みながら彼らの祖先がオランダからオーストラリアに移住しどんな暮らしをしたのか話を聞いた。

そして私たち夫妻がこの先どこで暮らしていくか、何を目指して生きるべきか思い悩むのだと話すと、このカップルは私たちの為に祈り励ましてくれたのだ。クリスチャンとして生きる者にとって神様に祈ることは大きな希望そのものである。

人に手を貸し、また人に手を貸してもらうことはクリスチャンの人生には必要不可欠なものである。神様が私達に沢山の物を与えてくれ、私たちはそれを皆と分かち合い共に喜び愛のある世界を教えてくれる。友の為に神様に祈るということもそのうちのひとつだ。

相手がクリスチャンでも、クリスチャンでなくても、こういう温かい助け合いが私達の人生を豊かにしてくれるのだろう。

私達夫妻がこのカップルと出会い、共に時間を過ごせたことは間違いなく神様が与えてくれたプレゼントだと思う。きっとこのカップルにはまたどこかで会える日がやってくると信じている。こういう出会いがあるから旅というはいいものだと思うのだ。

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