個人的な好みだが、私は未だに手書きのメッセージカードや手紙を書くことが好きだ。
アメリカのスーパーや薬局に行くと、大量のメッセージカードのコーナーがあり、そのコーナーに行くのも好きだし、カードの特売をやっている日にはカードの買いだめをしたりする。
メッセージカードは結構値段が高く、1つ平気で7ドル位するのだが、多種多様なデザインで、綺麗なデザインもあれば、愉快なデザインのものもあり、ブラックジョークが効いたカードもあって実に楽しい。
バースデーカードコーナーには年齢ごとのカードがあったり、母へ、父へ、息子へ、娘へ、祖父へ、祖母へ、孫息子、孫娘へ、夫へ、妻へとバースデーカードだけでも10グループ以上に分けられたカードが常時無数に多様なデザインのカードが陳列されていて見てるだけでも楽しいのだ。
アメリカでは親しい人にこういうカードをお誕生日や、イベントの時によく送るのだ。
最近は余り見なくなってしまったが、ショッピングモールにもカード屋があった頃はよくメッセージカード屋に入って、オールマイティー用途に使える外装が少し凝った素敵なデザインのメッセージカード10セット入りのものを定期的に買っていた。
私はそれらのカードを使ってお礼状を出したり、お手紙を書く時に使っている。
今では手紙やメッセージカードのやり取りをする人は本当に減ってしまったが、私は未だにメッセージカードを友人や家族に送ったりしている。
私自身、メッセージカードを貰って嬉しい思いを何度もしてきたので、私自身も家族友人にメッセージカードを贈ることを続けていきたい。
私は自分の誕生日と、クリスマスのプレゼントとして夫にお願いしているものがあるのだが、それは夫からのメッセージカードである。
物は要らないのでカードが欲しいとリクエストしているのだ。夫から貰ったメッセージカードは私のコレクションとしてお手紙箱に収集し保管するのだ。
夫はカードに沢山のメッセージを書いてくれるのだが、読めないアルファベットもよくあり、難アリな部分もあるのだが、それでも私にとっては何か買ってもらうより価値のあるプレゼントなのである。
義理の母も生前結構な量の未使用のメッセージカードを保管していた。
遺品整理をした時に私はそれらをまとめて譲って貰ったのだが、とても古いmade in USA のメッセージカードばかりで、アンティーク感が溢れている。
ひとつひとつのデザインがとても素敵で、私はそれを使って夫の誕生日や、クリスマス、結婚記念日にメッセージカードを夫に送るようになった。
夫はそれらの未使用の古いカードはアンティークで価値があるだろうから使わない方がいいんじゃないかというのだが、私はこのカードを売る気などない。
夫のお母さんが昔買ったメッセージカードを使って夫にメッセージカードを贈ることを私はとても楽しみ、その素敵なカード達が私たち夫妻の間に記念として残ることも嬉しく思う。
e-mailが私たちの生活の一部になってからの生活はすごく便利になった。
e-mailが世に広がってから間もなくFacebookだったりインスタグラムだったり、スマホでSMSやLINEを使ってより簡単にメッセージが送れるようになり、気が付けばe-mailさえも家族友人間のやり取りであまり使わなくなってしまった。
だから手紙やメッセージカードが殆ど使われなくなるのも仕方がないのだろう。
どんどん郵便物も減っていくことを考えると、普通サイズの手紙をあと何年100円以内で送れるだろうか? 手紙を送ることは気軽なことでははなくなる時が来ると思うとなんとなく寂しくも思う。
関連して興味があるのは年賀状のことである。
私は年賀状を送るのが好きだが、送った相手が私に年賀状をくれるかくれないかを気にしない。年賀状は私が友人に連絡する絶好のチャンスとしている。
ただ、ここ数年世間では”年賀状じまい”なんていう言葉が出てきて色々と思ってしまう。
お友達から家族写真が載っている年賀状を貰うのはとても楽しいし、友人の元気な姿や家族の様子が少しでも見れる家族の写真付きの年賀状が果たす役割の大きさを考えると、私は年賀状がなくなるのは寂しいと思うのだ。
本人がもう送りたくないのならば”年賀状じまい”についてわざわざ年賀状に書かずに、年賀状をやめてしまってもいいんじゃないの?と思うのだ。
私は自分が受け取った年賀状に「私は年賀状じまいをします」と書いてあっても、気にせずその友人に年賀状を送る。
もし相手がもうこの先年賀状を受け取りたくないというのなら、”年賀状じまい”の連絡ではなく、”年賀状はもう送らないでください”というメッセージを書いてくれないと分からない。
とりあえず私は、この年賀状じまいに対しては「受け取るのは問題ないけど、こちらからはもうこの先年賀状を送りませんよ」というメッセージであるのだと解釈している。
別に送りたくない時には連絡ないまま送らなければいいだけのような気がするのは私だけなのだろうか?
年賀状は、気が向いた時に、気が向いた人にだけ出すだけでもいいと思っている。わざわざもう金輪際年賀状を出しませんよと宣言する意味はなんだろう?
とにかく私は年賀状じまいというものに嫌気がさしているのは間違いない。
去年の年末頃、たまたまテレビで年賀状じまいの仕方、気を付けるマナーのポイントという番組をやっていた。
こういうのを真剣に見て学習する日本国民の方々がいるのだろうが、「日本の国民大丈夫か?!」と思ってしまった。
テレビもネタが欲しくてやっているのかもしれないが、そもそも長いこと年賀状を送っていない人も沢山いる。そういう人たちがいるのだから、この先年賀状を送らないことをそんなに心配する必要があるのだろうか?
いつも年賀状は義理で出すだけで、送りたくないのにわざわざ年賀状を送っていたという人は、なんだか残念な感じがする。
年賀状を出すか出さないかなんて、別にモラルも何もない。
この先年賀状を送らないことくらいで、多くの人に思い悩んだりしてほしくはないなと思うのだ。
そんな無駄な時間は過ごすのをやめて、送りたくない時にはすっぱり送らず、送りたい人にだけ気が向いた時には送る位の気軽で楽しい年賀状のススメというのを是非とも今後は推してもらいたいものだ。
手紙は強制的にではなく、心温まる思いやりの気持ちの先にある、自発的なものであって欲しいと心から思う。
日本では100円ショップにそこそこ可愛いカードが結構ある。ぜひ親しい人のお誕生日でプレゼントをあげる時には一言心のこもったメッセージを添えてみたらどうさろう?
家族友人へ便りを出すススメ
- 受取り手に、その人を想うことを分かりやすく伝えれる方法
- 会って伝えるのは照れ臭いことも手紙だと伝えやすい
- 紙に書かれる手書きの文字には独自の個性と温かみがある