理解しがたいアメリカ文化に遭遇すると、物事に対する思考の自由さがアメリカにはあるのだと思わざるを得ない。異国の地でなら日本人もそういった文化を楽しむのに、何故か日本人の間だと、同じことが起こり得ないことは多々ある様に思う。
ロッキー・ホラー・ショー
正式名称、ザ・ロッキーホラーピクチャーショー(The Rocky Horror Picture Show)は、1973年にイギリスで舞台公演後、1975年にイギリスとアメリカの共同制作で映画化され、ジワリジワリと熱狂的なファンを得てカルトの代表作と言われるに至った映画である。
ホラーと言うものの、他のホラー映画のような幽霊的な恐怖感はない。むしろコメディータッチの奇怪な話とトランスジェンダーやホモセクシュアルを含む性的な描写だらけのロックでファンキーな物語なのである。
映画となって一般大衆が映画を鑑賞すると、観客の多くが余りの奇怪さに辟易し、途中退場していたらしいのだが、熱狂的なファンが生まれて数多くのリピーターがいたことから、深夜上映会の枠を広げていったらしいのだ。
カルト代表作として君臨
1977年になると、熱狂的なファンによりファンクラブが生成され、週末深夜の映画館には映画の登場人物にコスプレした観客たちが集まって、スクリーンに向かってツッコミを大声で飛ばしたり、小道具を用いた観客参加型の映画鑑賞会が始まったらしい。
映画のメインキャラクターであるフランク・フルター博士(ティム・カリー)になるきるコスプレは、黒いコルセット姿に網タイツと厚底のプラットフォームブーツを履き、大振りなパール調のネックレスというドラッグクイーンのような超奇抜なスタイルである。
ニューヨークで始まった観客参加型の映画鑑賞は、全米に広がり各地でファンが増え、それの乱痴気騒ぎを楽しむ一般客も増えカルトの代表作になったのだろう。
簡単な概要
友人の結婚式が行われた教会で結婚を誓った若い男性ブラッドと若い女性ジャネットは、恩師に結婚の報告をしようと悪天候の中、車を走らせていると辺鄙な場所でタイヤがパンクする。二人は車を降り、助けを求め進むと古城に辿り着く。
電話を借りるだけのつもりが、古城で開かれる奇怪なパーティーに取り込まれていく若いカップル。逃げ出そうとするカップルの前に、城主のフランク博士が現れ、博士によるトラブル有りの人造人間のお披露目会が始まる。
若いカップル二人は古城に泊まることになり、それぞれがフランク博士と性的な関係を持ってしまう上に、若い女性はフランク博士に隠れて人造人間とも関係を持ってしまうと、そこからあれよあれよという間にしっちゃかめっちゃかなエンディングへと進むのである。
フランク博士の古城で仕える執事役の、リチャード・オブライエン自身がこのロッキー・ホラー・ショーの作者であり、作曲家だ。この映画の人気背景にはロック楽曲の素晴らしさがあり、何より映画をロングセラーとさせている理由とも言われていると聞く。
50周年特別公演鑑賞
この夏、すでに定年退職生活をしている友人と食事をしている時に、ロッキー・ホラー・ショーの話になった。私はこの映画について全く知らなかったが、友人が若かりし頃に鑑賞した参加型の深夜上映映画がいかにクレイジーで面白かったかという話だった。
友人から語られる映画の描写はなんとも想像が難しかったが、興味を持って話を聞いていると、友人が秋には50周年の特別公演があるから一緒に行こうという話になったのだ。というわけで、遅ればせながら私も公開から既に50年経過している伝説の映画を鑑賞したわけである。
私が見に行った映画鑑賞は特別なもので、映画上映の前には映画に出演した役者が2名がトークショーを行った後、映画と並行して舞台で役者が演じるという特別公演の物だった。その為、鑑賞チケットはだいたい100ドルからということもあり、真剣なファンが多い鑑賞会だった気がする。
参加型の鑑賞会
観客は、会場の入り口でプロップといわれる小道具バッグを渡された。この映画ならではの参加型アイテムで、新聞紙、ピンクのゴム手袋、ペンライト、パーティーハット、パーティー伸び縮み笛、マスク、トランプカード、ティッシュぺーパーに加え、アイテム利用ガイドが入っていた。
映画が始まり少し経つと、若いカップルが車を降り雨の中歩き出すシーンがある。そこで若いカップルの女性が新聞を頭に被ると同時に、観客も新聞を頭に乗せて鑑賞するという具合だ。私を含め多くの人が新聞紙を被ってそのシーンを鑑賞したのだ。
ちなみに私の斜め前には80後半から90歳位のおじいさんが映画鑑賞していたが、年季の入ったファンなのだろう。他のファンと同じようにアレコレ小道具を使い、ダンスシーンでは立ち上がってステップダンスを踊っていた。
私が感じた参加型の凄いなと思う部分は、ヤジである。多くの人が映画のアチコチのシーンで大声でヤジを飛ばしアレコレ言うのだ。日本での映画は静かに鑑賞。声を聞くことがあるとすれば笑い声位だろう。
きっと日本でも小道具を使った参加型はやるだろうと思うのだが、大声でヤジを飛ばすということはハッキリ言って想像できない。そもそも字幕映画に対してヤジを飛ばすということ自体ナンセンスな気もする。かといって吹替だとこの映画の良さを失うような気もしてしまう。
コスプレで映画鑑賞
私が鑑賞した公演会場の座席数は1500席を超える。座席数の込み具合から言っても恐らく1000人以上の観客がいた。そして映画内の役者のようなコスプレしていた観客数は軽く100人は越えていた。10%~20%の観客が気合の入ったコスプレだった。
そのなかでもやはり目を引くのは黒いコルセット姿に網タイツと厚底のプラットフォームブーツを履いた男性客のコスプレだ。彼らがLGBTQ+グループなのかどうかは分からないが、その恰好で堂々と来場し、平常運転でトイレの列に並んだり、飲み物を購入し映画鑑賞をしているのだ。
アメリカ人には社交的な人が多く、知らない人にも皆気軽にアレコレ話しかけたりすることは結構普通だ。という訳で、きっとコスプレをしていた人たちは沢山の知らない人と会話も楽しんだことだろう。
映画の内容といい、スクリーンに向かってヤジを飛ばす行動といい、むちゃくちゃ過激なコスプレといい、日本にはまだまだハードルが高い代物と感じたカルト映画文化体験であった。正直、私は、日本がアメリカとは違う文化である部分に正直ほっとしてしまう。

