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自宅で一流シェフの食事会

アメリカ暮らし

どんなに美味しい料理でも一人での食事は、初めの一口に感動があるかもしれないが、随分味気ない食事だと感じてしまう。というわけで特別に美味しい物を食べるなら、大人数でテーブルを囲み美味しさを倍増させて楽しむのがいい。

自宅に一流シェフが来る

友人が特別な食事会に私達夫妻を招いてくれた。友人宅のダイニングテーブルでの食事会だったのだが、一流シェフを招き、友人宅のキッチンで調理されるコース料理が振る舞われた。

以前から、そのような食事会を楽しむ人達が存在する話は聞いていたが、私には縁のない物だとおもっていた。ところが、食事会を開いてくれた友人が準備してくれたのは、まさにその縁の無いと思っていたタイプの食事会だったのである。

ダイニングテーブルは友人によって高級レストランに優るアイテムで綺麗にセットされ、前菜、パスタ、メイン、デザートのコース料理と共に特別に選んでくれた3種類のワインが提供された。

隠さない富裕層

食事会に招いてくれた友人は、間違いなくアメリカの富裕層に入るだろう。しかし、友人には全く嫌みがない。この一流シェフを招いた食事会の費用は全て友人持ちで、食事会で飲んだワインも友人のワインコレクションから選んでくれた特別なものだった。

他の富裕層の人と話した時も思ったが、彼らは暮らしにお金をかけていることを特に隠したりはしない。「自分は甘やかされていると思うけど、飛行機はやっぱりファーストクラスしか乗りたくないんだ。」と、お茶目に言うのである。

この友人と一緒に出掛けた時には他の友人と同じように綺麗に割り勘することもあれば、こちらがご馳走をすることだってある。今回の食事会みたいに素敵なもてなしをしてくれることもあるけれど、別に違う世界に住んでいるわけではないのだ。

とても気さくなこの友人は純粋に一緒に食事を楽しもうと誘ってくれた。というわけで食事会に参加したメンバーは皆、気負うことなく手ぶらで参加した。何か手土産を持参すれば相手に喜んでもらえると思うが、手ぶらで参加しても問題ないのだ。

私は、一流シェフを迎えて特別な食事会を開いてくれていることに敬意を払って、友人宅と言えども少々ドレスアップをして食事会に参加したが、友人は素敵なドレスだと喜んでくれていた。私は自分の為にではなく、招いてくれた友人を尊重し、いつもよりいい服を着たのである。

アメリカと言えどもTPOを考えるとやはりTシャツとジーンズは好ましくない場合がある。

一流シェフのお家コース

友人宅で夕食会メンバーが集合し、30分程カクテルタイムをリビングで楽しんでいると、シェフ自身が私達をダイニングテーブルへと案内し食事会が始まった。シェフは着席した人のグラスにお水を注ぎ、前菜から順に配膳までしてくれるのだ。

こんな風に個人宅に雇われたシェフ仕事をする人達はその仕事用のビジネスライセンスを持っているらしい。しかし、食後の飲酒運転責任問題回避の理由から、シェフは食事に合うおすすめワインの選択をしても、アルコール飲料を着席している人のグラスに注ぐことはなかった。

4皿のコース

  • 前菜   生ハム乗せ桃とフレッシュモッツァレラチーズのブルスケッタ
  • パスタ  濃厚ペコリーノチーズソースで絡めたリガトーニ
  • メイン  ポテトのラザニアとほうれん草を挟んだ鶏むね肉のグリル
  • デザート ブラックベリーのパンナコッタ

シェフは各コースのお皿を配膳すると、料理の説明をし裏方に消え、皆がそのお皿を綺麗にするころにまたやってきて食べ終えたお皿を片していく。どの皿も結構ボリューミーなので残しても問題はない。むしろ残さないと最後のデザートまでたどり着くことは難しい。

一定の時間が過ぎても食べ残していればシェフが皿を下げてもいいか聞いてくれるので無理して食べることもない。このようにシェフは皆のお皿を下げると、次の料理を持ってきてくれた。

シェフは配膳を終えると都度皿をサッと綺麗にし、食洗器に仕舞っていく。シェフは調理後のキッチンもゲストが飲食した皿も片付けてくれるのだ。

シェフは最後のデザート皿を運ぶと、キッチンにある残りの物を片付け私達がデザートと会話を楽しんでいる間に私物を自分の車に運び、私達の食事会が完全にお開きになる前にゲストに簡単な挨拶をかわし帰っていた。

自宅でサービスを受ける

サービスを提供してくれるシェフが帰る時、彼は短い挨拶をして帰宅した。シェフを雇った友人は特別にシェフを見送ることもなく、食事会がお開きになるまで友人と共にダイニングテーブルで共に時間を楽しでいた。

このように自宅でサービスを提供を受け慣れている人達と、提供することに慣れている人達はサービス提供者が自宅に来てから帰るまでとてもスムーズだ。友人は既にこのシェフに何度かサービスを依頼していて基本的な勝手がわかっているから細かいことは聞かずにことが進むのだ。

日本でも高齢者や要介助の人達が慣れたデイケアで通う人を自然に迎えられるのと同じことだろう。

食事会がお開きになる時に、友人にデザートや、グラスの片づけを手伝うと申し出ると、友人は翌日の朝にはクリーニングサービスの人を呼んでいるから食後の片づけはしないで寝るからいいのだと言いっていた。

友人は自宅でサービス各種を受けることに慣れているし、それを特別隠すこともない。お金がなければそもそも出来ないことだが、だからといってそういうサービスを使うことを自慢するわけではないのだ。

むしろ、ちょっぴり恥ずかしそうに「自分は甘やかされているんだ」とチャーミングに笑顔で言うのである。こういうのもきっとそれまでの人生で培ったコミュニケーション能力のひとつなのだろう。

溢れる豊かさ

アメリカには経済的に恵まれていて、それを隠さず暮らす心温かな人が沢山いる。そういう人達が、自分の持っている物をみんなで楽しもうと差し出していると、この人は凄い金持ちだから出来るのだと思ってしまうこともあったが、実はそうではない気がする。

確かに持っている物が少なければ人と分け合うのは難しい。しかし、沢山持っていても人と分け合うのはいやだと思う人だって沢山いるはずだ。

友人が特別な理由もなく、一流シェフを呼びワインコレクションから高価なワインを提供し、素敵に整えたダイニングテーブルで友人との時間を楽しむための食事会を開いてくれたが、はたして私は同じような気持ちでゲストをもてなしているのかと考えさせられる。

たとえ一流シェフや高価なワインがなくても、自分の出来る範囲の特別を提供することは誰にだってできるはずだ。だけど、私の心は特別よりも、無難な落しどころを探してしまうことが多い。これからは自分に出来る特別を探し、もっともてなす喜びを持ちたいと思う食事会だった。

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