いつから多くの男子が美容を気にするようになっていたのだろうか。
この数年コロナの影響もあって人に会う機会が減っていたからか、朝から晩まで仕事漬けの毎日を送っていたからか、もしくはアメリカで暮らす時間が長くなったからなのか、私は近頃の男子を取り巻く状況に驚かされている。
私は昭和生まれの中年女である。私が考える高校生男子のお洒落と言えば洋服以外だと髪型くらいであった。大半は髪の毛を脱色し茶色か金髪にするか、パーマを掛ける程度である。
稀に眉毛を整えている子や、耳か鼻にワンポイントピアスをしてる子が少数いた記憶しかない。
しかし何やら時代はすっかり変わってしまったようだと私もとうとう気づき始めた。
先日、電車に乗っていた私を仰天させた男の子がいた。
私の目の前に立っていた推定20歳前後の男の子が金属パーツと水色のキラキラビーズを組み合わせ揺れぶれ下がるガーリーなデザインのピアスをつけているのである。
全体的な服装は普通な感じの男の子だったのだが、なぜかピアスはお姫様スタイルだったのだ。
私は昭和生まれの思考も古い人間なんだろう。私は男の子がお姫様ピアスを付けるのは到底理解できなかった。
昔から世に登場する新しいスタイルを年配者が好まないのは常であるが、私が感じた違和感は私が中年になり時代の流れについて行けなくなっただけなのだろうか。
電車の中にある広告モニターに流れる広告にも私は唖然とした。
男性の育毛や脱毛の広告は見慣れてはいたが、その広告は眉毛を整えるマスカラ風の男子用のメイクアイテムを紹介していたのだ。
そして私は「今の男の子は眉毛もメイクするの?」とドン引きしてしまった。
これはコスメ業界が売り上げを伸ばす為に仕掛けたものだろうと心では思いつつも、その広告をみた子は「エチケットらしいし、ぼくもやらなくては!」と思うのではないか?と私は更にもやもやした気持ちにさせられた。
私も若い男の子の眉毛が繋がっていたり、バッサバサだったら整えるくらいはしたほうが良いとは思う。しかし男の子の化粧が一般的になるのはどうしても受け入れたくはない。
偏見だが男の子には美容の話なんかしてほしくはない。スポーツとかの話をして欲しいと思うのだ。
昔から一定数美容に興味がある男の子はいただろう。だから男性メイクアップアーティストも何十年も前から存在しているのだとは思う。
しかし、やはり多くの若い男子が美容に努力をしている姿は見たくないなぁと思ってしまうのだ。
本当に私は昔の人なんだろうが、男の子には美容ではなく、何か大きな事を成す為に志を燃やして欲しいなぁと思うのである。
やはりKポップが大流行して韓国アイドル男子の露出が多くなってから日本でも男の子の化粧が一般的になってきたということなのだろうか?
何がきっかけで男子の美容心や女子化が育ったのだろう。
私は10年程前電車に乗っていた時に、前髪をヘアピンを付けている制服姿の男の子を見ただけで、なんだか嫌だなという思いを持ってしまっていた。それが良いか悪いかということではなく、ただ好まないのである。
偏見と言われようが、私は男の人にはヘアピンも化粧もしてほしくないと思う古い考えの者なのだ。
私は女だが殆ど化粧をしていない。比較的肌が健康だからと手を抜くようになったのもあるが、数年前に気づいてしまったからである。
ある日電車に乗っていた時に、ふと電車に乗る周りの男性たちを見て、「この男性たちは眉毛を少し整えているかもしれないが、ほぼ自然の眉毛であるのになかなかいい眉毛じゃないか!」と思ったのだ。
続けてその男性たちの肌をみて、綺麗とは言い難い肌の状態の人もいたが、「そこそこ良い肌をしているおじさんが沢山いるではないか!」と気づいたのである。
私なりに出した結論は、恐らく肌の綺麗さというのは結局持ち前の肌の具合によるところが大きいのだろうという身も蓋もないことだった。
それ以来、私の美容はどんどん手抜きになってきているが、だからと言って肌の状態は悪くなっていないのだ!!
私は女でも男でも世間が何と言おうが「自分は化粧をしたいんだ!」という確固たる願望がある人は化粧をすればいいと思っている。しかし、「やらないと常識人じゃない」とか「皆がやっている」からとプレッシャーを受けてやる必要はないと思うのだ。
売上げ広大の為に「これはエチケットです」なんてうたい文句で新規ビジネスチャンスと若い男子に付け込んでくる”ニューノーマル”には飲まれないようにして欲しい。
私は結局の所、男性には昔ながらの”良き男らしさ”を求めるている。
暴君みたいなのではなく、芯のある素敵な頼れる男性だ。その人には日頃から肌の状態だとか、ファッションに心を奪われていて欲しくないと思うのだ。
そしてイケメンは素でもイケメンなのである。
しかし男性は顔が整っていなくても、その内面性でとても素敵に見える人達が存在している。私が考えるイイ男が兼ねそろえているのは”精神の強さ”と”清潔感”だ。
清潔感に関しては簡単だ。顔を洗い、髭を剃り、髪の毛と爪が綺麗に切り揃えてあればいい。
”精神の強さ”については結構難易度が高い。これは難しい事なので深くは掘り下げないで置くが、ここでいう”精神の強さ”とは、”正義を貫く努力をする者”を指している。
この二つが揃っている男性であれば顔の整い具合はほどほどでも、私はかなり素敵な男性に見えるのではないかと思うのだ。
共に過ごす時間が長ければ長い程、この手の男性の素敵度の増し具合は計り知れないのである。
私は社会の仕組みは男性が中心になって構成されていて良いと思っている。その理由は切り開く力と、修羅場を乗り切る体力と精神は男性の方が優れていると思うからだ。
女性にも強い精神は間違いなくある。女性の場合は切り開く力ではなく、耐える力が強いというのが私の考えだ。
家事育児で忍耐を必要とし、満遍なくコツコツと丁寧にやるようなルーティン仕事は女性の方が向いているケースが多い。
中には逆パターンの男女も居るだろうし、両方に向かない人もいるだろう。そういう人は性別や変な一般常識なんかに囚われずに、向いている場所で活躍すればいいが全体を見た時の傾向として男女で適性があるという事は昔からの周知の事実である。
その周知の事実を無視して何でも平等にと無理しながら物事を推し進めることに私は違和感を感じる。
性別によることでチャンスを奪うのはナシにしてほしいが、無理やり作り出すことも止めてほしい。
話がかなり横道にそれてしまったが、私は一人でも多くの男性に男性だからこそできる力を発揮して、もっと活躍してほしいと願っているのである。
美容やファッションに心を奪われることなく、大きな事を成し遂げて欲しいという個人的な願望を強く持っているがゆえに私はこの男子の女子化を危惧しているのかもしれない。