今、私は40代半ばを生きている。
年齢的に既に立派な中年おばさんなんだが、世の中がすっかり変わり世間で私に「おばさーん」と声を掛けてくる人がほぼいない。
明らかに世間では皆、知り合いにも他人にも気を使った呼び名をつかっている。おばさん、おじさんの年齢になっている人を呼び止める時に”おねえさん”、”おにいさん”という言葉をび、親達は子供にもその呼び名で呼びなさいと教えるのだ。
これは子供にとってきっととても紛らわしいことだろう。そうなると「いったい誰がおばさんで、おじさんなのだろう?」かと悩まないのだろうか?
私の推測だが、今の社会で気軽に呼べる”おばさん”、”おじさん”とは友人の親もしくは、本人を抜きにして会話されるケースおいてくらいなのだろう。
そして自分自身の祖父母以外は、よっぽどヨボヨボにならないかぎり世間で他人を”おばあさん”、”おじいさん”と呼ぶことは呼べなくなってしまった。
私の母は既に70代半ばだが、ジムにも通いアクティブな生活を送っている。
先日、今は亡き父方の祖母の写真を見つけたのだが、そこに映る祖母は推定70歳で既にヨボヨボに属するおばあさんであった。年齢的には今の母の方が年上だと思うが、写真の祖母にくらべ母の方が10歳以上若く見えるのである。
全体的に、昭和の頃に年配だった人に比べると、今の年配者は相当に見た目が若くなっているのだろう。そこに個人差も加わり、誰がどのグループに属するかますます分からなくなってしまった。
先日私より10歳ほど若い友人とお茶をした。その時に話題になったのは同年代の見た目年齢である。
子供の頃の同年代の人との見た目年齢はほぼ変わらないが、年を取れば取るほど同年代の見た目年齢の開きが大きくなるようである。推定すると、見た目年齢は20代後半頃から徐々に開きが出てきそうだという話になった。
そして30、40、50、60、70と進むにつれてゆっくり見た目が加齢する人と、一気に加速し、早くから見た目加齢する人がいるようだという結論に至った。
そもそもの顔の作りの問題もあるのかもしれないが、内面的な明るさと、お洒落をしようとする努力と願望が、その見た目年齢に影響を与えるのではないだろうか。
体形の維持も大きく関係していて、もう一つの大きな要素として若い頃の姿を全体的にどれだけ維持できるかが大きいと推測する。
ダイエットして痩せて素敵になる人も居ると思うが、年を取ると痩せても太っても、実年齢より老けてみえることがあるので本当に難しい。
祖母の写真を見つけた時に、母が70歳になる前に参加した同窓会の写真も出てきたのだが、私は少々衝撃を受けた。集合写真に写るのは70歳になった同級生の男女のなのだが、とても全員が同級生とは思えないのだ。
それほどに写真に写る40人の見た目年齢にはばらつきがあった。
この写真に写る私の母と、母の仲良しグループは見た目年齢が低くみえた。このことから私はひとつの事を考えた。類は友を呼ぶのだろうか?と。そしてなぜか男性の方が平均して年齢層が高く見えた。これは髪型も理由のひとつになるだろう。
頭が薄く、白髪の人はどうしても見た目年齢が高く見えてしまうのだ。
この見た目年齢の話を共有した友人も私も経験があるが、同年代の人と出会った時にその人の実年齢を聞いて同じ年ではないかと少々驚く事があるのだ。失礼ながら自分よりもずっと歳上の人だと思ったことがある。
外へ仕事に出ず専業主婦でワンオペ子育てに疲れて自分の事はどうでもよくなってしまうと、一気に老けてしまう事もあるのかもしれない。
しかし、老いに抵抗し、出来るだけ若さをキープしたいと素直に思って励まし合える友人を得れば、多少なりとも自然な形で加齢ブレーキを踏めるような気がする。
私はこの信頼できる友人には、この先私が変なファッションをし、素敵に老いを迎えることが出来てなければどうか私を止めてくれとお願いしておいた。
いくら親しくても友人に「かなり全体的に変になってきているよ」とは言いづらいだろうが、そこを宜しくと真剣に依頼はしておいてみた。
私は昔からピッタリした服や台形ミニスカートが好きなのだが流石に40代後半にさしかかり、このままではまずい気もしてきた。そりゃダメでしょと思うようになったら迷わず私を止めて欲しいと思っている。
見た目年齢はさておき、現実は厳しく私も間違いなく老いを感じている。40代半ばになりジワリジワリと老いが私の体のあちこちで「ここにいるよ!」と老いははっきりと自己主張を始めた。
以前はもっとひっそりと隠れるように存在していた老いが、今はかなり堂々と存在を表し、勢力を付けてきていることは、はっきりと目にも見えるし、目に見えない部分でも衰えは感じるのだ。
30代中盤になった頃、「なんだか背中に肉がうっすらついてきた気がするな」と思ったことを皮切りに、体のあちこちに緩みががでて、たるみもしっかり現れている。
十分に運動していない生活も理由のひとつだが、私の体は20歳頃の体重とさほど変わらないというのに体についた肉は場所を移動し、以前の洋服を着ると明らかにきつくなっていたりするのである。
ノースリーブの洋服を着た時の、鏡に映る自分の肩も腕は以前の物とは明らかに違うのだ。
おかげでノースリーブの服を買うのはためらうようになってしまった。
私の体力も確実に落ちてきている。昔は大好きだった海外旅行も今では依然と同じように楽しみだと思えなくなっている。
アメリカ人の夫がいて、アメリカに家があるから飛行機に乗る機会が多いのだが、私は時差のある旅行に疲れ始めて、海外旅行と言われても今ではすっかりウキウキ感が激減してしまった。
予想される消費体力と年々重くなる時差ボケを考えると、出発前に気分が疲れてしまう。旅行に行くよりも家でだらけていたいと思う世の会社勤めのお父さんの気持ちがわかるようだ。
この夏、私は自分の体の老いを決定的に感じることがあった。
小学生の甥っ子と海に行き、浮き輪でザパーンとやってくる高波に乗る遊びをしたのだが、海に入って1時間程たったあたりから変化があった。
「高い波がくる!」と思って体に力を入れ、高くジャンプしようとすると、きまって足がつるのである。
海がすごく楽しいとはしゃぐ甥っ子も、さすがに何度となく足のつったおばちゃんの痛い姿を見て、可哀そうに思ったの抗議することもなく素直に海遊びを終えてくれた。
それを甥っ子の母である姉に話すと「あんたも体はしっかり40代だね」と言われたのである。
若さを保つために、それほどお金を掛ける必要はないというのが私の持論である。
ほどほどに健康的な食事と、継続的な運動と気遣いさえしていれば、そこそこ見た目年齢は低く保てるのではないだろうか。
それをどこぞの会社が広告費を使ってアレコレ宣伝するので、一見お金を掛けないと若見えは出来ないと思うかもしれないが、広告はほぼマヤカシな気がする。
正直言って、皴のひとつふたつが少々薄くなった位ではそれほど見た目年齢は変わらない。ウエストや、足が数センチ細くなったからと言って誰が気づいてくれるのだろうか。
その少しの違いに気づけるのは、サービスを提供する担当者と自分だけじゃないのか。
美容整形のなんらかの術をうければ明確にわかる若返りを得るかもしれないが、それを始めてしまったら、どこが諦めゾーンなのか分からなってしまいそうだと思うので私はそこには手を出さないで置こうと決めている。
私としては髪の毛を綺麗にメンテナンスしたり、ジムに通って体形と体力を維持して、友人と楽しくおいしい物を食べ沢山の笑顔で居れる時間を増やして老い対策することをオススメしたい。
そして「私はもう年だから」とは絶対に言わないようにしたい。
出来ることを無理のない範囲でなんでもチャンレジしながら楽しい生活を送りつつ、老いには出来るだけゆっくりとやってきてもらおうと思っている。